Chapter 914 使命を知るとは死期を知ること

科学の見直しをせずに、このまま科学の暴走を許せば、天災という人災はますます増え、人間の悩み・四苦八苦は先進社会のみならず人間社会全体を覆うことになります。
人類の大群発生の結末が集団自殺であることは以前に述べましたが、核戦争という形態での一瞬の集団自殺の可能性より、徐々の集団自殺という形態になる個別自殺の拡大の可能性の方が強いでしょう。
自殺に対する暗いイメージは宗教によって捏造された観念であります。
古代・中世では奴隷、近代では大衆・民衆、現代では国民という名に変わった被支配者側の人間が持つ厭世観による自殺願望を抑え込む手段であったわけです。
畜生以下の労働マシーンとして扱ってきた奴隷(被支配者)に自殺されては元も子もなくなるからであり、まさに、“生かさず、殺さず”が支配者側の被支配者側に対する支配原理であったわけです。
現代社会における民主主義も科学を駆使した巧妙な支配手段であることを見逃してはなりません。
奴隷時代に宗教によって自殺を最大の罪の一つと洗脳されたが、現代社会では更に加えて、医療が民主主義という巧妙な支配手段に手を貸して、被支配者の自殺を防いでいるのであります。
自殺という行為は、死を知った唯一の知性ある生き物・人間が持つ特権であります。
死を知らない無知な生き物には自殺の観念も当然ありません。
自殺とは死を知った者が自らの死期を決定する権利に外なりません。
わたしたちは死を確実なものと信じながら、死の時期を知らないという自己矛盾に嵌り込んでいるのです。
死という未だ来ぬ未来の出来事を確定するなら、未来も過去と同じで憶えている、つまり、知っていることになる筈で、死期も確定できる筈です。
未だ来ぬ未来は憶えていない、つまり、知っていないのであれば、死期がわからないものは確実にやってくるとは言えない筈です。
未だ来ぬ未来に起こる死が確実とするなら、死期も確定しなければならない。
それを可能にさせる手段は唯一自殺であります。
地震という天災に遭って、ノイローゼになる人が急増しています。
科学の暴走によって天災が急増し、悩み・四苦八苦が天井知らずになる。
更に医療によって自然死すら抑圧されている人間が行き着く先は安楽死、つまり、自殺であります。
科学の暴走の所為で、次から次と天災が襲い、次から次と新しい得体の知れない病気が襲ってくる二十一世紀の人間社会では、人間の死因のトップは病気ではなく、自殺になることは必定です。
“自殺”という言葉に暗い罪のイメージがあるのは、冒頭で述べた支配者の被支配者に対する“生かさず、殺さず”の支配手段の結果の産物であって、自殺の本質は自らの死期は自らが決定することに外なりません。
死期を決定した(覚悟した)人間は、生を充実したものにします。
死期を決定できない(覚悟できない)人間は、生を無駄なものにします。
癌で死の宣告を受けた人間が辿る道には二つあるのが、癌の告知の是非問題をつくっているのです。
一つは癌の告知を受けて、自らの死期を決定(覚悟)する人の道で、残された人生を充実したものにする。
一つは癌の告知を受けて、狼狽えて自らの死期を決定(覚悟)できない人の道で、残された人生を無駄なものにする。だから告知をしないわけです。
自らの死は自らで決定(覚悟)するのが、死を知った人間の責任であり、権利でもあります。
二十一世紀の人類大群発生の解決策は自殺の概念、自殺に対する考え方を変える、つまり、価値観の革命にあると言っても過言ではありません。
死を確実なものとしながら、死期を知らないから、生を無駄なものにするのです。
死が確実であるのなら、死期を決定(覚悟)するのも当然としたら、生を充実したものにできるのです。
使命を知るとは死期(死季・四季)を知ることに外ならないのです。