Chapter 917 睡眠は本来要らない!

わたしたちが現実だと思い込んでいる世界は実は映像の世界に外ならず、夢の中で観る映像とまったく同じ世界であります。
夢の真只中では現実と思い込んでいたのに、目が醒めると現実ではなくて夢だったことに気づくように、現実だと思い込んでいる世界は、目が醒めると夢だったことに気づくのです。
従而、目が醒めている昼間の世界も実は夢の世界に外ならず、畢竟、映像の世界だと言えるわけで、寝ても起きても、わたしたちは眠っていることになります。
寝ても起きても眠っていることを「意識の眠り」と言います。
「意識の眠り」に対して「肉体の眠り」はどうなっているのでしょうか。
「肉体の眠り」は、身体が寝ているかつまり静止しているか、身体が起きているかつまり運動しているかで判断できます。
五臓六腑の肉体は四六時中起きているつまり動いていますから、身体の静止・運動とは五感の静止・運動のことであります。
わたしたちが身体と思い込んでいるのは実は五感であって肉体全体ではありません。
五臓六腑も含めた全体観としての肉体を、自分の身体だとは普段のわたしたちは思っていないのです。
不測の事態に陥った場合だけ全体観としての肉体を身体と感知するのです。
五臓六腑のどこかが異常事態になると身体と感知するわけです。
胃がおかしくなると、胃の存在を痛さで感知する。
心臓がおかしくなると、心臓の存在を動悸で感知する。
息苦しくなると、息の存在を感知する。
全体観としての肉体を感知しない状態を「普段の運動」と言います。
全体観としての肉体を感知する不測の事態を「激しい運動」と言います。
「普段の運動」とは、宇宙の法則に基づいた運動であり、全体観としての肉体の運動でありますから「意識」です。
「激しい運動」とは、「全体と部分の相対性の法則」に基づいた部分観の運動でありますから「想い」です。
「意識」とは、五臓六腑も含めた肉体全体の動きによって生じる全体観である所以です。
「想い」とは、肉体の一部であり、外界との境界を区分けする五感、つまり、目・耳・鼻・口(舌)・肌(皮膚)の動きによって生じる部分観である所以です。
自他の区分けのないのが「意識(集合意識)」であり、自他の区分けのあるのが「想い(自己意識=顕在意識&潜在意識)」であり、自他の区分けを以て、自己の肉体を感じているのは五感の為せる業であり、「想い」の為せる業なのです。
五感、つまり、目・耳・鼻・口(舌)・肌(皮膚)が感知するものはすべて過去情報であります。
目で感知するものは光の速度で走る。
耳で感知するものは音の速度で走る。
鼻で感知するものは空気の速度で走る。
口(舌)で感知するものは物体の速度で走る。
肌(皮膚)で感知するものは物体の速度で走る。
有限の速度で走るのを感知したものは光の速度であっても、すべて過去情報であるのです。
太陽の光を感知したもの、つまり、太陽の存在情報は8分前の過去情報です。
月の光を感知したもの、つまり、月の存在情報は2秒前の過去情報です。
五感で感知するものはすべて過去情報であり、過去情報ということは現実ではなくて映像に外なりません。
現実とは現に実在するものであり、過去の一部であり、未来の一部である現在に実在するものではなく、『今、ここ』に実在するものです。
過去・現在・未来という水平的(量的)時間ではなく、虚時間という垂直的(質的)時間上に現実の世界が在るのです。
わたしたちが観る夢とは、五感の感知する世界であり、映像の世界であります。
従って、睡眠を採っている世界とは映像の世界であり、現実の世界ではないのであります。
五臓六腑を含めた全体観としての肉体は、誕生した限りは死ぬまで眠らない「普段の運動」をしているわけです。
五感という部分観としての肉体は「普段の運動」と「激しい運動」を繰り返していて、「普段の運動」をしている時は五感が機能していない、つまり、「意識」が働いているわけで、「意識」が醒めた状態であるのに対し、「激しい運動」をしている時は五感が機能している、つまり、「想い」が働いているわけで、「意識」が眠った状態にあるのです。
「意識」の眠りを示す睡眠は本来必要ないのです。
五感が機能する「激しい運動」をした結果生じる疲れ、つまり、目・耳・鼻・口(舌)・肌(皮膚)の疲れですから、目・耳・鼻・口(舌)・肌(皮膚)の動きを静止してやれば済むことであり、睡眠とは必要悪である所以です。
「普段の運動」のエネルギー源は生命エネルギーであり食物ではありません。
「激しい運動」のエネルギー源は運動エネルギーであり食物です。
寝ても醒めても「意識」が眠った状態で生きているのが映像の世界であり、夢の世界であります。
寝ても醒めても「意識」が醒めた状態で生きているのが実像(実在)の世界であり、現実の世界であります。
運動宇宙は静止・運動の宇宙であることを忘れて、運動一如の宇宙であると錯覚しているから、寝ても醒めても夢うつつの「意識」の眠った生き方をするわけで、必要悪の睡眠が要るのです。
静止・運動二元は、静止の甲・乙・丙状態に過ぎず、実在するのは静止であり、運動は静止の不在概念に過ぎないことを理解すれば、必要悪である睡眠などは要らないのです。