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Chapter 921 ボタンの掛け間違いを続ける人間社会 思い悩み、四苦八苦する人生を送る原因は、思い悩み、四苦八苦する“自分”がいるからであり、思い悩みさせられ、四苦八苦させられる“他人”がいるからであり、主観・客観二元論の呪縛に外なりません。 生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄・・・健康・病気、神・悪魔そして過去・未来といった二元論が展開される根元には自・他二元が横たわっているからであり、運動宇宙の運動が相対二元論に基づいているからであり、「全体と部分の相対性の法則」に基づいた「公転」が、自他二元論の基になっているからです。 自転は全体観(主観一如)のことであり、公転が部分観(主観・客観)のことである、つまり、自他二元であります。 “自分”を認識するには“他人”という鏡の存在が不可欠であり、自他の認識をする前提条件は運動する、つまり、生きていることであります。 誕生(始点)・生(円周)・死(終点)という円回帰運動が運動宇宙を貫く法則です。 運動宇宙とは静止(誕生&死)と運動(生)を繰り返す映像世界であり、自他の区分け、つまり、自己同化(Self-identification)するのは、運動過程の生(円周)だけであり、静止過程である死(終点)と誕生(始点)では自他の区分けは消滅するのです。 運動宇宙を貫く誕生(始点)・生(円周)・死(終点)という円回帰運動の最大要諦は始点が終点であることです。 始めにボタンの掛け間違いをすると、一生(円周)間違った人生を送ることになるのは、誕生(始点)・生(円周)・死(終点)という円回帰運動の為せる業に外なりません。 (人)生の始めに、親や学校や社会から間違った躾・教育・道徳観を植え付けられた結果、次から次へと雪だるま式に間違いを重ね続け、終わりに死を迎えることになるから、死を怖れるのであり、それが自己同化(Self-identification)することによって自他の区分けが生じる相対二元論(相対論)に外ならないわけで、相対二元論(相対論)に嵌り込む原因は、人生を生(円周=運動)だけと捉えるからであります。 人生を生(運動)と死(静止)と捉えない限り、ボタンの掛け間違いによる雪だるま式の間違った人生を送り続けることになります。 生は好いことで、死は悪いこと。 オスは好いことで、メスは悪いこと。 善は好いことで、悪は悪いこと。 強は好いことで、弱は悪いこと。 賢は好いことで、愚は悪いこと。 富は好いことで、貧は悪いこと。 幸福は好いことで、不幸は悪いこと。 天国は好いことで、地獄は悪いこと。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 健康は好いことで、病気は悪いこと。 神は好いことで、悪魔は悪いこと。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 憶えている(知っている)過去は好いことで、憶えていない(知っていない)未来は悪いこと。 これらの考え方を当然のことと思い込んで生きてきたわたしたち人間は、最初にボタンの掛け間違いをした結果、差別・不条理・戦争の横行する支配・被支配二層構造と世襲・相続という差別の男性(オス)社会に成り下がってしまったのです。 (人)生の始めにおいて真理への道に入ることができれば、始点が終点である円回帰運動では、生という円周すら真理に沿った生き方をすることができるのです。 運動宇宙は運動一如ではなく、静止・運動であるのが真理です。 人生は生一如ではなく、生死であるのが真理です。 死を無視した生は在り得ないのです。 知性を得た人間だけが死の概念を持って人生を生きる。 死の概念を持っている人間だけが、自己の死期を決定することができる、つまり、自殺することが出来るのに、“生は好いことで、死は悪いこと”と捉える最初のボタンの掛け間違いによって、自殺は悪いこととされてしまったのです。 死とは自己の死のことであり、自己の死とは自殺に外なりません。 病死であっても、事故死であっても、殺人死であっても、自殺であっても、自己の死はすべて自殺であります。 病気は他人である医者に治してもらうものと勘違いしているから病死と思い込んでいるのです。 病気は自分の自然治癒力が治すものであることがわかれば、病死も自殺の一形態であることがわかるのです。 病死は医者による他殺だと勘違いしているから、医者に頼り、医者に裏切られることになるのです。 |