Chapter 922 “名前”の落とし穴

自他の区分けをして、“自分”と“他人”、つまり、“私”と“あなた”といった言葉があるのは、わたしたち人間だけです。
“私”と“あなた”を更に細分化した結果、名前が誕生したのです。
他の生き物には自他の区分けがないから名前の概念はありません。
彼らが死の概念を持たない所以は、自他の区分けが無いからであり、経験測(『今、ここ』という在り方)で生きているからです。
わたしたち人間だけが死の概念を持つ所以は、自他の区分けが有るからであり、理論測(過去・未来という考え方)で生きているからです。
“過ぎ去った過去に起こった他人の死を知って未だ来ぬ未来の自分の死を知る”
死の概念の正体であります。
概念とは知ることであり、考えることであります。
他人の死を知らなければ自分の死を知ることはありません。
他の生き物は、死の概念は持っていませんが、死の観念を持っています。
“他人の死を観ても、自分の死を観ていない”
死の観念の正体であります。
観念とは観ることであり、経験することであります。
『今、ここ』にいることが出来ず、過去・現在・未来に「想い」を馳せるのは、自他の区分けが為せる業なのです。
“自分”と“他人”、そして、“私”と“あなた”、そして、“新田論”と“名無しの権兵衛”であります。
わたしたち人間も生まれた時には“名無しの権兵衛”、つまり、“わたし”でした。
他の生き物は生まれてからもずっと“名無しの権兵衛”、つまり、“わたし”です。
自他の区分けとは、“名無しの権兵衛”から“名有りの権兵衛”に変わることに外ならない。
自他の区分けとは、“わたし”から“私”に変わることに外ならない。
“わたし”は“名無しの権兵衛”
“私”は“名有りの権兵衛”
“名有りの権兵衛”である“私”と、“名無しの権兵衛”である“あなた”の間に差別をつけることが自他の区分けに外ならない。
“私”と“あなた”を更に細分化した結果、名前が誕生した。
自他の区分けは名前、つまり、言葉の産物であります。
人間がペットの犬や猫に名前を付けるのも、自他の区分け、つまり、差別を付けるためであり、結果、自他の区分けが無かった犬や猫も、自他の区分けをする、つまり、差別をする生き物に成り果ててしまいます。
ペットの犬や猫に訊いたわけではありませんが、自他の区分けをするようになった彼らは、多分、死の概念を持っているでしょう。
他人をすぐに愛称で呼ぶ人がいます。
自他の区分けをする、つまり、差別意識の有る人です。
他人をなかなか愛称で呼べない人もいます。
自他の区分けをしない、つまり、差別意識の無い人です。
愛称とは蔑称に外ならない。
差別意識の強い欧米社会、特に、アメリカ社会ではニックネーム(愛称)でお互いを呼び合いますが、実は蔑称に外ならないのです。
名前を愛称に変えることは、自他の区分け、つまり、差別を強化したことに外ならないのです。
差別・不条理・戦争の横行する社会を少しでも無くするためには、先ず、他人を愛称(蔑称)呼びすることを止め、更には、名前呼びすることも止め、“あなた”呼びすることです。
他人を“あなた”呼びするようになると、自分を“私”呼びすることから“わたし”呼びするようになります。
過去・現在・未来に「想い」を馳せる複数の“私”から、『今、ここ』にいる“わたし”に変身することができるのです。
複数の“私”とは他人の代表なのであります。