Chapter 924 脱常識の確率25%

“生は好くて、死は悪い。オスは好くて、メスは悪い。善は好くて、悪は悪い。強は好くて、弱は悪い。賢は好くて、愚は悪い。富は好くて、貧は悪い。幸福は好くて、不幸は悪い。天国は好くて、地獄は悪い。健康は好くて、病気は悪い。神は好くて、悪魔は悪い”
“肉体は滅しても、魂は不滅である”
“この世で一生懸命生きれば、再び生まれ変わったら、好い人生を送ることができる”
“死は悪いこと、況してや、自殺は以ての外で、自殺すれば地獄に堕ちる”
“人間社会(男性社会)で結婚は女性の永久就職の職場という憧れの場所”
わたしたち現代人は、これらの言葉を当たり前のように思って生きてきましたが、どうやら真っ赤な嘘のようであることは、今まで述べてきた通りであります。
結果、思い悩み・四苦八苦する差別・不条理・戦争の横行する人間社会になってしまった。
オス(男性)とは本来外敵から仲間を守る役割と、子孫保存の為の種(たね)を供給する役割だけを持っていたのであり、子孫を産むメスが飽くまで中心のメス社会だった弱き生き物・人類が知性を得た結果、地上の覇者になり、外敵を悉く粉砕したオス(男性)中心の社会になってしまったのがその原因であります。
わたしたち人間は悉く、つまり、支配者側も被支配者側も、いつの間にか、冒頭で述べた言葉が常識だと思い込むようになってしまった結果、世襲・相続の差別制度も常識だと思い込んでしまっています。
「平和な人間社会」を希求するわたしたちでありますが、政治や経済で「平和」を実現することは不可能であります。
「平和な人間社会」とは、多くの人間、つまり、圧倒的多数の大衆・民衆・国民が幸福な人生を送ることができる社会のことであります。
しかしながら、冒頭で述べた言葉を常識だと思い込んでいる人間社会である限り、質的優位性は量的劣位性であり、量的優位性は質的劣位性であるとする原理が働く社会ですから、量的優位性を持つ圧倒的多数の大衆・民衆・国民は、質的優位性の幸福を得ることは絶対不可能なのであり、畢竟、「平和な人間社会」は絶対不可能なのであります。
圧倒的多数の大衆・民衆・国民が幸福な人生を送ることができる「平和な人間社会」を構築するためには、量的優位性と質的優位性が両立する「考え方」を、わたしたち人間が悉く持たなければなりません。
結局の処、「二元論」の本質の間違えた捉え方である、好いとこ取りの相対的一元論が元凶になっているわけで、先ず「二元論」の本質を捉えることが大事です。
“生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄、健康・病気、神・悪魔・・・は表裏一体の補完関係にある一枚のコインであり、表面だけを取り、裏面を忌避する好いとこ取りは出来ない”
「二元論」の本質であります。
「二元論」の本質を理解したら、更に、「二元論」を超えた「三元論」に進化(細分化)しなければなりません。
「二元論」では、質的優位性と量的優位性は反比例します。
つまり、“質の好いものは、量は少ない”、“量の多いものは、質は悪い”わけです。
好いとこ取りの相対的一元論の「考え方」の根元に、この問題が横たわっているわけで、「三元論」に進化(細分化)する必要性の根拠であります。
「三元論」(考え方)に進化(細分化)するとは、質的優位性・量的優位性、質的優位性・量的劣位性、質的劣位性・量的優位性、質的劣位性・量的劣位性の四つの可能性に細分化されることです。
量的優位性・質的優位性と共に、量的劣位性・質的劣位性という危険性も有しますが、可能性は確率論で言えば25%ある。
“生は好くて、死は悪い。オスは好くて、メスは悪い。善は好くて、悪は悪い。強は好くて、弱は悪い。賢は好くて、愚は悪い。富は好くて、貧は悪い。幸福は好くて、不幸は悪い。天国は好くて、地獄は悪い。健康は好くて、病気は悪い。神は好くて、悪魔は悪い”
“肉体は滅しても、魂は不滅である”
“この世で一生懸命生きれば、再び生まれ変わったら、好い人生を送ることができる”
“死は悪いこと、況してや、自殺は以ての外で、自殺すれば地獄に堕ちる”
“人間社会(男性社会)で結婚は女性の永久就職の職場という憧れの場所”
こういった「二元論」(考え方)である限り、「平和な人間社会」実現は100%不可能であります。
25%の確率がある「三元論」(考え方)を選ぶのか。
100%不可能な「二元論」(考え方)を選ぶのか。
わたしたちひとり一人の『目覚め』に掛かっているのです。