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Chapter 927 逆に見る 眠っている間に観る夢を現実だと思い込んでいるのに、朝目が醒めたら夢だったことに気づくように、わたしたちの人生は現実だと思い込んでいることが悉く夢つまり映像だったというどんでん返しになっています。 現実と映像がどんでん返しの関係にあるのは、写真の現像(ネガティブ)と焼き付け(ポジティブ)のメカニズムと全く同じわけです。 映画のフィルム(静止画フィルム)と映画(動画面)のメカニズムと同じわけです。 静止宇宙が現実(実在)で、運動宇宙が夢(映像)である所以です。 『今、ここ』が現実(実在)で、過去・現在・未来が夢(映像)である所以です。 しかしながら、知性ある、つまり、言葉を有している生き物であるわたしたち人間は、夢(映像)を現実だと錯覚し、スクリーンに映っている映画(動画面)を現実だと錯覚し、夢(映像)に過ぎない運動宇宙(運動の光と音(喧噪)の宇宙)を現実だと錯覚し、夢(映像)に過ぎない過去・現在・未来を現実だと錯覚しているから、思い悩み・四苦八苦しているのです。 “生は好いことで、死は悪いこと”と錯覚しているから、思い悩み・四苦八苦しているのです。 “オスは好いことで、メスは悪いこと”と錯覚しているから、思い悩み・四苦八苦しているのです。 “善は好いことで、悪は悪いこと”と錯覚しているから、思い悩み・四苦八苦しているのです。 “強は好いことで、弱は悪いこと”と錯覚しているから、思い悩み・四苦八苦しているのです。 “賢は好いことで、愚は悪いこと”と錯覚しているから、思い悩み・四苦八苦しているのです。 “富は好いことで、貧は悪いこと”と錯覚しているから、思い悩み・四苦八苦しているのです。 “幸福は好いことで、不幸は悪いこと”と錯覚しているから、思い悩み・四苦八苦しているのです。 “天国は好いことで、地獄は悪いこと”と錯覚しているから、思い悩み・四苦八苦しているのです。 “健康は好いことで、病気は悪いこと”と錯覚しているから、思い悩み・四苦八苦しているのです。 “神は好いことで、悪魔は悪いこと”と錯覚しているから、思い悩み・四苦八苦しているのです。 “過去は好いことで、未来は悪いこと”と錯覚しているから、思い悩み・四苦八苦しているのです。 未だ来ぬ(未経験の)未来にやってくるであろう死を怖れて生きているから、思い悩み・四苦八苦しているのです。 わたしたちが現実だと思い込んでいるものは悉くどんでん返しされた夢(映像)であることに気づくことが、「悟り」・「覚醒」・「愛」に外ならない。 愚かな一般大衆によって死刑を宣告され自ら毒を呷って死んでいった、2400年前の古代ギリシャのソクラテスが、人類に向かって最後に言った「思い込み(ドクサ)の生き物・人間」という言葉を受けて、その弟子プラトンが残した「洞窟の比喩」を、わたしたち人類は胸に刻んでおくべきであります。 “私たち人間は、生まれた時から、どこかの深く暗い洞窟の奥に潜んでおり、私たち一人ひとりの身体は、洞窟最奥の壁に顔を向ける格好でしっかりと縛りつけられている。私たちの背後、洞窟の通路の真ん中につい立てのような塀があり、その向こうにある燈火の光が、塀の上で動かされる人形の影を私たちの目の前の壁に映し出す(ちょうど、スクリーンに映し出される映像を、映画館の座席にすわって見ているように)。私たちは生まれてから見慣れたそれらの影の動きが物事の本当のあり様であると、何の疑いも抱かずに信じ込み、それらの一挙手一投足をあれこれ忖度しながら生きている。しかし、ある時、ふとしたことでその一人が縛めを解き放たれ、頭を後ろに向けさせられたとする。そこに見えるのは、今まで見たこともない強い光と塀の上で動き回る人影である。彼は目が眩み苦痛を感じて、一体自分が何を見ているのかも分からない。束縛はいまや完全にはずされているが、その人は今まで見てきた影の方が現実だという思い込みから逃れられずに、人形や光の方が似せものであると思い誤ってしまうかもしれない。さらに、その人は無理やり洞窟の入り口へと連れていかれ、明るい外の 世界へと導かれる。そこには、人形ではない、本ものの動物たちが動き回り、木々がひろがって、燈火ではない太陽の光が溢れている。暗い洞窟で生きてきた囚人は、あまりの明るさにそれらをしっかりと見てとることができない。だが、次第に、水面に映る影から見はじめて、次にその実物を、ついには、星々や、太陽それ自体を目にすることができるようになる。そしてその人は、外の世界の太陽こそが四季やすべての事物を育み、それらが「ある」ことを成り立たせる根拠であることを理解する。外の世界を見た人は、ふたたび洞窟へと降りていく。彼は実物を直接見てきたために、洞窟の内部で人々があれこれ憶測して喋りあうものが影であることを了解し、それらの動きがどういった物の影なのかを、正しく識別し判断することができる。他方で、洞窟の中にいた人々は、戻ってきて目が暗闇に慣れずに戸惑う彼を笑いとばし、その人が説明する本当の事物のあり様を信じることもない。逆に、彼らが生きている現実を影だと主張するその人物を危険視し、殺してしまうかもしれない。(プラトン「国家」第七巻より抜粋)” 今から2400年前の哲学者の言葉ですが、現代社会にそのまま通じる比喩でもあります。 しかしであります。 わたしたちの背後の洞窟の通路の真ん中に立っている塀の上の人形と、わたしたち人間が縛られている洞窟の壁に映っている人形の影とはどんでん返しになっていることを、レンズを通して映る映像のメカニズムとして現代科学は教えてもくれています。 哲学と科学を統合するのが二十一世紀の人間社会であると主張する所以であります。 事実・真実・真理を理解するには、わたしたち人間の目を逆に(どんでん返しに)向けなければならないのです。 |