Chapter 928 没個性化社会の終焉

“みんなで渡れば怖くない”
没個性化社会のスローガンであります。
量的生活(超拝金主義的生き方)社会のキーワードであります。
不眠症を病気だと勘違いする医療ビジネス社会のコピーライトであります。
“みんなで不眠症になれば怖くない”わけです。
量的生活(超拝金主義的生き方)を志向する人間は自然に没個性的な生き方をします。
個性的とはユニーク性(唯一性=unique)、つまり、質的志向であるのに対し、没個性的とはピアー性(同等性=peer)、つまり、量的志向に外なりませんから、量的志向の最たる超拝金主義に陥るわけです。
超拝金主義に塗れた生き方をする現代人が没個性化していくのは当然の帰結であります。
“みんなで渡れば怖くない”の“みんな”は二人よりも三人の方がより好い、三人よりも四人の方がより好い、四人よりも十人の方がより好い、十人よりも百人の方がより好い、百人よりも千人、千人よりも万人、万人よりも億人の方がより好い・・・切りがありません。
量的志向が切りのない(果てのない)水平志向になる所以であり、水平志向の産物である過去・現在・未来という時間に惑わされている所以であります。
過去を思い煩い、未来を取り越し苦労する人間は、過去・現在・未来という水平的時間志向で生き、量的志向で生き、没個性的に生きます。
個性的に生きる人間は、過去・現在・未来という水平的時間志向ではなく、『今、ここ』という垂直的時間(虚時間)志向で生き、質的志向で生きますから、超拝金主義には陥らず、拝徳主義で生きます。
現代先進社会は今や超拝金主義、平たく言えば、“猫も杓子も”お金を追い掛ける時代になっています。
拝金主義とは、数少ない者が数多くのお金を追い掛けることであり、質的優位性は量的劣位性、つまり、“富める者は数が少なく、貧しい者は数が多い”という二元論の本質に合致して、実現性が有るのに対し、超拝金主義とは、数多い者(一般大衆)が数多くのお金を追い掛けることであり、二元論の本質からして実現性は全く(100%)有りません。
発生したバブルは必ず破裂する。
膨らませた風船は必ず破裂する。
膨張した宇宙は必ず破裂して収縮する。
過去・現在・未来と流れた時間は必ず未来・現在・過去と逆流する。
超拝金主義の“超”とは破裂する時期(反転時期)を示すバロメーターに外ならないのです。
“みんなで渡れば怖くない”みんなが拝金主義になる実現不可能な超拝金主義に成り下がるということは、膨らませてきた風船が破裂する時期を示しているのであり、その兆候が没個性化社会に外なりません。
巷を徘徊すると、若者の服装が気持ち悪いほど没個性化していることに気づく筈です。
自分では個性的だと思っているのでしょうが、彼らは他人と違うことを極端に怖れている個性完全埋没型であります。
バブル経済ではなく、精神のバブルが破裂する時期が刻一刻と迫っているのであります。