Chapter 929 自殺は尊厳死(安楽死)

自殺が近未来の人間社会の死因トップになるでしょう。
何故なら死の概念を持つ唯一の生き物・人間が持つ特権が自殺であることに気づくからです。
病死が近未来の人間社会の最悪の死の形態となるでしょう。
何故なら病気で死ぬ生き物が唯一人間であることに気づくからです。
他の生き物の死因は悉く自然死(老衰死)であり、自然死(老衰死)は自殺の一形態であり、無意識の自殺が自然死(老衰死)に外なりません。
無知性の絶対一元論の世界、つまり、生死(善悪)の判断の実を食べずに、エデンの園という自然の世界に生きている他の生き物はすべて自然死(老衰死)という無意識の自殺をしているのです。
有知性の相対二元論の世界、つまり、生死(善悪)二元は一枚のコインの補完関係にある表裏であると知るに至った生き物・人間はすべて意識の自殺をするのです。
有知性の好いとこ取り相対的一元論の世界、つまり、生は好くて、死は悪い(善は好くて、悪は悪い)と身勝手な判断をする生き物・人間だけが病死(他殺)をするのです。
自殺は自己完結型の死であり、病死は他人責任転嫁型の死つまり他殺に外ならない。
“健康”という言葉は本来あり得ないわけで、敢えて言うなら“不病気”であり、生有る者は死ぬまで病(やまい)の甲・乙・丙状態を繰り返すだけで、そもそも“不病気”などなく、病(やまい)の最も軽い状態である甲状態を“健康”という言葉に摺り変えたのが、そもそもの間違いであったように、“生”という言葉は本来あり得ないわけで、敢えて言うなら“不死”であり、生ある者は死ぬまで死季(しき)の甲・乙・丙状態を繰り返すだけで、そもそも“不死”などなく、死季(しき)の最も軽い状態である甲状態を“生”という言葉に摺り変えたのがそもそもの間違いであったのです。
死の中で生を生きるのですから、死を意識するのが当然であり、死を意識するとは自殺に外ならないのです。
死の観念(経験測)を持っている他の生き物は、自然死(老衰死)という無意識の自殺をする。
死の概念(理論測)を持っている人間は、意識の自殺をするのが当然の帰結であります。
死の概念(理論測)を持っていながら病死(他殺)をするのは、使命を果たさない人間だけであります。
現代人間社会は病死(他殺)する人間で溢れかえっていますが、やがて目覚める人間が増えていき、近未来には意識の自殺が死因トップになるのは間違いないでしょう。
その時、“自殺”という言葉は死語になって、“尊厳死(安楽死)”という言葉に変わっているかもしれません。
“尊厳死(安楽死)”こそ、悩み・四苦八苦の人生から解放してくれる切り札であるのです。