Chapter 930 愛(アイ)は音

知性を有する生き物・人間とは、言葉を有する生き物と言い換えてもよい。
知性を有する生き物・人間とは、死の概念を有する生き物と言い換えてもよい。
知性を有する生き物・人間とは、自殺する(意識して死ぬ)生き物と言い換えてもよい。
知性=言葉=死の概念=自殺=意識
無知性の生き物とは、音を有する生き物と言い換えてもよい。
無知性の生き物とは、死の観念を有する生き物と言い換えてもよい。
無知性の生き物とは、自然死する(無意識に死ぬ)生き物と言い換えてもよい。
無知性=音=死の観念=自然死=無意識
知性とは意識することであり、無知性とは意識しないことに外ならない。
従って、意識するとは死を意識することに外ならない。
死を意識するには知性(言葉)で意識するしかない。
死の概念が言葉で知る理論測である所以です。
死の観念が音で経験する経験測である所以です。
意識しないと細分化できないから、音は無意識で感じても、言葉は意識しないと知ることが出来ないのであります。
ア(A)・ウ(U)・ン(MN)という音を(ア・イ・ウ・エ・オ)(カ・キ・ク・ケ・コ)(サ・シ・ス・セ・ソ)(タ・チ・ツ・テ・ト)(ナ・ニ・ヌ・ネ・ノ)(ハ・ヒ・フ・ヘ・ホ)(マ・ミ・ム・メ・モ)(ヤ・イ・ユ・エ・ヨ)(ラ・リ・ル・レ・ロ)(ワ・イ・ウ・エ・ヲ)(ン)という言葉に細分化する過程で人間は意識して生きるようになっていったわけです。
無知性の絶対一元論の世界から、有知性の相対二元論の世界に入っていったわけですが、有知性の相対二元論は、有知性の絶対一元論(三元論)に回帰する過程であることを、わたしたちは知るに至っていないために、好いとこ取りの相対的一元論で止まっているのです。
結果、自他の区分け(差別)をする生き物になり、悟れない、覚醒できない、愛せない生き物になったわけです。
わたしたち人間だけが悟り・覚醒・愛を追い求めるのは、悟れないからであり、覚醒できないからであり、愛せないからであります。
愛するとは、(ア・イ・ウ・エ・オ)(カ・キ・ク・ケ・コ)(サ・シ・ス・セ・ソ)(タ・チ・ツ・テ・ト)(ナ・ニ・ヌ・ネ・ノ)(ハ・ヒ・フ・ヘ・ホ)(マ・ミ・ム・メ・モ)(ヤ・イ・ユ・エ・ヨ)(ラ・リ・ル・レ・ロ)(ワ・イ・ウ・エ・ヲ)(ン)という言葉で愛するのではなく、ア(A)・ウ(U)・ン(MN)という音で愛(アイ)するのです。