Chapter 931 不安と危険

生まれた直後に先ず名前を押しつけられ、更に言葉を押しつけられることによって、わたしたち人間は映像の世界で生きる破目に陥った。
プラトンの“洞窟の比喩”でいうところの、最奥の壁に向かって縛りつけられたわけであります。
自然というジャングルの中にある檻の中に自ら入ってしまったわけであります。
洞窟の外に出たら、つまり、檻の中からジャングルに出たら、そこでは、人形(影=映像)ではない、本ものの動物たちが動き回り、木々がひろがって、燈火ではない太陽の光が溢れ、星々や、太陽それ自体を目にすることができるのです。
暗い洞窟で生きてきた、わたしたち人間(囚人)は、最初はあまりの明るさにそれらをしっかりと見てとることができないが、次第に、外の世界の太陽こそが四季やすべての事物を育み、それらが「ある」ことを成り立たせる根拠であることを理解するに至るのです。
洞窟の中で、ジャングルの真ん中にある檻の中で、つまり、映像の世界の中で生きていることに気づくには、洞窟の外に、檻の外に出ない限り出来ません。
洞窟の最奥の壁に向かって自分を縛りつけているのは、外でもない自分なのであります。
ジャングルの真ん中にある檻の中に自分を放り込んだのは、外でもない自分なのであります。
“洞窟の比喩”で言われているような、“ある時、ふとしたことでその一人が縛めを解き放たれ、頭を後ろに向けさせられたとする・・・さらに、その人は無理やり洞窟の入り口へと連れていかれ、明るい外の世界へと導いてくれる”他人は決していないのであり、洞窟の壁の前に縛りつけているのも、洞窟の入り口へ連れていってくれるのもすべて自分なのであります。
「神」という全知全能の存在がいて、わたしたち人間を見守ってくれているのでは決してないのです。
“神や自然に生かされている”のではなく、“自分で生きている”のであります。
“神や自然に生かされている”と錯覚するから、他人責任転嫁型の人間になるのです。
“自分で生きている”と気づくなら、自己完結型の人間になれるのです。
ジャングルの真ん中にある檻こそが、落とし穴に外ならない。
ジャングルの真ん中にある檻から出ることが、“清水の舞台から飛び降りる”ことに外ならないのです。
洞窟の中で、檻の中で交わしている会話こそが言葉であり、洞窟の外で、檻の外のジャングルで交わしている対話こそがア(A)・ウ(U)・ン(MN)という音なのです。
拙著「心の旅の案内書」の挿入詩である(詩集)「夕焼けの死」の(不安)という詩を最後に紹介しておきます。
不安に対してあなたは何もできないが、危険に対してあなたは何かできることを、肝に銘じておくことです。


(不安)

生きるとは 危険なジャングルの中に放り出されること

死ぬということは ジャングルから広大なサバンナに抜け出すこと

生まれて そして死ぬというくり返しは 夜のジャングルから 朝のサバンナへの行き帰り

それが本当の生きるということ

だけど あなたは 人間が勝手につくった檻の中にいる

檻はジャングルにもサバンナにも もともとないもの

なにかまわりの景色と合わない不自然なもの

その中に入って 生きている

鉄の格子でできている檻は丸見えのもの

その中からジャングルで起きている景色を見ていると

ますます檻から出るのが恐くなる

それが 檻の中で生きるものの愚かな宿命

不安という 目に見えない 檻の中だけにある幻想

檻から出れば 無限の広がり

すべては あなた次第の 無限の自由

だけど あなたは 檻の中から出ようとしない

不安だらけの檻の中で ただ震えるだけ

不安に対してあなたは何もできない

危険に対してあなたは何かできる 勇気さえあれば

不安を選ぶか 危険を選ぶか それは あなた次第


(参考)心の旅の案内書 〜 リラックスした生き方
(参考)心の旅の案内書 〜 良い悪いが精神の眠りの原因
(参考)心の旅の案内書 〜 あなたもビッグバン