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Chapter 936 目覚めの第一歩 「幸福」という言葉は好い響きで、「不幸」という言葉は悪い響きを持っている。 「健康」という言葉は好い響きで、「病気」という言葉は悪い響きを持っている。 しかし、好い響きを持っている言葉の「幸福」や「健康」は何処を探しても実在しない。 しかし、悪い響きを持っている言葉の「不幸」や「病気」は到る処に実在する。 「生」という言葉は好い・悪いの響きを持たないが、「死」という言葉は悪い響きを持っている。 しかし、悪い響きを持っている言葉の「死」は到る処に実在する。 「オス」という言葉も、「メス」という言葉も、言葉自体には好い・悪いの響きを持たないが、人間社会はずっと「オス(男性)社会」であった、つまり、「オス」という言葉に好い響きを持ち、「メス」という言葉に悪い響きを持ってきた。 しかし、悪い響きを持っている言葉である「メス」が子孫を育んできた。 「善」という言葉は好い響きで、「悪」という言葉は悪い響きを持っている。 しかし、「偽善」という言葉が有っても、「偽悪」という言葉が無いように、好い響きを持っている言葉の「善」は何処を探しても実在しないが、悪い響きを持っている言葉の「悪」は到る処に実在する。 「強い」という言葉は好い響きで、「弱い」という言葉は悪い響きを持っている。 しかし、人類は本来「弱い」生き物であり、「弱い」生き物ゆえ知性を得て「強い」生き物になったように、生き物の本質は「弱さ」にある、つまり、悪い響きの言葉である「弱い」は到る処に実在するが、好い響きの言葉である「強い」は何処を探しても実在しない。 嘗ての恐竜や百獣の王・ライオンの「強さ」も「弱さ」からの産物に外ならないわけで、「弱さ」が本質であることを知らなかった恐竜は「強者必衰の原理」で絶滅したが、「弱さ」が本質であることを知っているライオンは決して自分よりも大きくて強い象やサイと戦ったりしなかったから絶滅しないで済んでいる。 「賢い」という言葉は好い響きで、「愚か」という言葉は悪い響きを持っている。 しかし、知性は無知性からの産物(進化過程)であることは、旧約聖書の「アダムとイヴ」が禁断の知恵の実を食べたことでエデンの園(天国)から追放されたという物語が示唆している。 人間だけが知性ある生き物で、他の生き物が無知性の生き物である所以は、無知性、つまり、「愚か」が到る処に実在し、「賢い」は何処を探しても実在しないことを示唆している。 「富」という言葉は好い響きで、「貧」という言葉は悪い響きを持っている。 しかし、「富」という概念は蓄積という概念から生まれたもので、人類が狩猟型から農耕型に変わった(進化した)結果生まれた概念であり、すべての生き物は本来狩猟型であり、狩猟型生活には蓄積の概念はない、つまり、「富」の概念はなく、日々の糧で生きる、つまり、「貧」の生活を送るのが本来性である。 「天国」という言葉は好い響きで、「地獄」という言葉は悪い響きを持っている。 しかし、死んだら地獄の三丁目で閻魔大王が待っていて、嘘をつく人生を送ってきたかどうかを死者に詰問し、嘘をつく人生を送らなかった者だけが天国に行くことが出来、そうでない者はみんな地獄に落とされるという話は、「地獄」は到る処に実在するが、「天国」は何処を探しても実在しないことを示唆している。 わたしたち人間の中で、嘘をつかずに一生を送った者など一人もいない筈です。 「神」という言葉は好い響きで、「悪魔」という言葉は悪い響きを持っている。 しかし、全知全能である筈の「神」なのに、「神」の存在の陰には必ず「悪魔」がいて、「我こそは、在るべきして在る者なり」と唯一神を誇っている旧約聖書の神「ヤーヴェ」の陰に「悪魔」が必ず登場することが、「神」など何処を探しても実在しないが、「悪魔」は到る処に実在することを示唆している。 「悪魔(不幸・地獄)」は「神(幸福・天国)」へ到るための試練であると嘯く宗教の正体であります。 運動宇宙、つまり、誕生(始点)・生(円周)・死(終点)という円回帰運動の世界での法則性である「二元論」の本質は、わたしたち人間がつくった言葉と反対の処にあるのです。 他の生き物は「殺す」行為を善悪や功罪の概念で捉えていませんが、戦争といった愚かな行為は決してしません。 人間は「殺す」行為を悪とし、罪とし、挙げ句の果てに「戒め」という人間だけの掟(法律)をつくっておきながら、戦争を続けておるのです。 人間がつくった言葉の矛盾性に自覚することが目覚めの第一歩であります。 |