Chapter 938 目覚めの第三歩

間違った「二元論」の結果、超拝金主義という土台不可能なことを追い求めているのが現代人であり、意識が完全に眠った状態で生きている。
他人と違ったことを極端に怖れる没個性化した現代人は、正に夢遊病者の様相であります。
“彼らは、自分が何をしているのか、わかっていないのです”
イエス・キリストが十字架上で死に際して言った言葉であります。
“影を現実だと思い込んで、影である現実に怖れて生きている人間”
ソクラテスが毒を呷って死んでいく際に言った言葉であります。
現在を『今、ここ』と勘違いして、目先で生きている人間が陥るのが、間違った「二元論」であり、超拝金主義になり、没個性の人間になるのです。
超拝金主義は厭世主義に外ならない。
わたしたち現代人は、過去・未来に想いを馳せて生きることを現実主義と思い込み、現在に想いを馳せて生きることを厭世主義と思い込んでいます。
過去・現在・未来の実相を理解していないからです。
『今、ここ』と現在この瞬間を同じだと思い込んでいるからです。
過去を思い煩い、未来を取り越し苦労する生き方をする、所謂現実主義の人間にとっては、現在この瞬間を生きている人間のことを厭世(刹那)主義者だと思っている。
現在この瞬間を生きている、厭世(刹那)主義の人間にとっては、過去を思い煩い、未来を取り越し苦労する生き方をする人間のことを現実主義者だと思っている。
過去を思い煩い、未来を取り越し苦労して生きている人間も、現在この瞬間を生きている人間も、実は所謂現実主義者であり、厭世(刹那)主義者でもあって、何ら変わりはないのに、お互い自分たちだけが、精神世界に生きていると勘違いしているのです。
“魂は永遠不滅”などとわかったようなことを言う人間は、現在この瞬間は過去の一部であり、未来の一部でもあることをわかっていないのです。
『今、ここ』と現在この瞬間を同じだと思っているのです。
現在この瞬間は、過去・現在・未来という水平的(量的)時間の一運動形態(無常の世界)に過ぎない。
『今、ここ』は、垂直的(質的)時間の静止形態(永遠の世界)に外ならない。
水平的(量的)時間軸と垂直的(質的)時間軸は交差していない、つまり、別世界の物指しであるのに、現在この瞬間と『今、ここ』を同じだと勘違いしているのが、精神世界を追い求めている厭世(刹那)主義者であり、精神世界を追い求めている人間を厭世(刹那)主義者だと決め込んでいる所謂現実主義者でもあります。
所詮彼らは同じ穴の狢であるのです。
支配者と被支配者に分かれて差別・不条理・戦争を繰り返しているだけです。
一般大衆・民衆・国民と、成金に成り下がった結果自分たちこそが支配者だと思い込んでいる政治家・役人・教育者・宗教者・医者・・・といった嘗ての聖職者とが織り成す、支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別制度の人間社会であります。
支配者側が悪いと、厭世(刹那)主義の被支配者側が言う。
被支配者側が愚かで弱いと、所謂現実主義の支配者側が言う。
厭世(刹那)主義も所謂現実主義も同じなのです。
この世的失敗者が厭世(刹那)主義者であり、この世的成功者が所謂現実主義者であるのです。
この世的失敗も、この世的成功も、人生の失敗者に変わりはない。
人生の成功者は、“終わり(死)好よければ、すべて(生)好し”ということをわかっている人間のことであります。
死を怖れている人間は、いくらこの世的成功を収めても、人生の失敗者になることは必定です。
死を怖れていない人間は、この世的成功も、この世的失敗も意に介していないで、『今、ここ』を生きています。
影(映像)の世界での主役も悪役も所詮は人生の失敗者に変わりない。
現実(実在)の世界にはただ一人自分だけであることを知った人間こそが人生の成功者であります。