Chapter 944 “宿命”の本当の意味

わたしたちの祖先である人類の黎明期にボタンの掛け間違いをした結果、わたしたち人間は掛け間違ったボタンのまま現代まで至っている。
欲望には本能的欲望と人為的欲望がありますが、黎明期つまり始めにボタンの掛け間違いをしたまま現代に至っているわたしたち人間が持つ欲望は、すべて間違ったものになっているのです。
本能的欲望とは性欲と食欲であり、他の生き物も持っているものです。
人為的欲望とは金銭欲・物質欲・権力欲・名誉欲・悟欲といったもので、わたしたち人間しか持っていません。
わたしたち人間の本能的欲望は人為的欲望に変節してしまっています。
空腹にならなくても食べる人間、性欲を催さなくても性行為を四六時中する人間である所以です。
他の生き物は空腹でないのに食べることはしないし、交尾の春の時期以外は性行為をしません。
結局の処、人間の欲望はすべて人為的欲望であるわけで、始めにボタンの掛け間違いをした結果、人為的欲望を催すものはすべて間違いであることを、わたしたちは自覚しなければなりません。
わたしたち人間の持つ欲望はすべて間違っているのですから、何を望んでも、何を期待しても、望む、期待する、欲望を催すわたしたち自身が間違っているのですから、結果は碌なものにならない。
始めにボタンの掛け間違いをしたら、終わりまで碌なことがありません。
“生は好くて、死は悪い”
始めにボタンの掛け間違いをした人類。
“オスは好くて、メスは悪い”
“善は好くて、悪は悪い”
“強は好くて、弱は悪い”
“賢は好くて、愚は悪い”
“富は好くて、貧は悪い”
“幸福は好くて、不幸は悪い”
“天国は好くて、地獄は悪い”
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“健康は好くて、病気は悪い”
“神は好くて、悪魔は悪い”
わたしたちの祖先である人類が、未だ来ぬ未来の最後の結末である“死は悪い”ものとする最初のボタンの掛け間違いをした結果、わたしたちは、何を望んでも、何を期待しても、何を欲望しても、その結果は好くないものに必ずなることを宿命づけられているのです。
始めのボタンの掛け間違いである、“死は悪い”というトラウマを解き放たない限り、生きていること自体が苦になる。
仏教で、人間の欲望のことを煩悩と言う所以であり、他の生き物の欲望は煩悩ではありません。
仏教の教えである“人間の煩悩を断たない限り、悩みは尽きない”のは事実ですが、欲望が何故悩みの原因である煩悩に変節したのかを自覚することが根本です。
“死は悪い”というボタンの掛け間違いが、その根源にあるのです。