Chapter 945 夢という気づき

運命と宿命。
運命とは運動する命、つまり、変化する命のことです。
宿命とは静止する命、つまり、変化しない命のことです。
運動の宇宙の法則と、静止の宇宙の法則を表現しています。
変化する宇宙と変化しない宇宙と言ってもいいでしょう。
わたしたちの存在している宇宙は変化する宇宙だと思ってきました。
運動の光と音(喧噪)の宇宙のことであります。
150億年前にビッグバンによって誕生した宇宙のことであり、月という衛星、地球という惑星、太陽という恒星、銀河という星雲などを包含した無数の衛星・惑星・恒星・星雲で構成されている全体宇宙のことであり、そんな宇宙の中で、わたしたち人間も存在していると思ってきましたが、実は、わたしたちの存在する宇宙は他にあった。
自分たちが存在する宇宙と思い込んできた全体宇宙は、変化する宇宙、つまり、映像に外ならなかったのであり、わたしたちが本当に存在する宇宙は、変化しない宇宙、つまり静止の宇宙、宿命の宇宙であったのです。
運動の宇宙は映像に過ぎない。
静止の宇宙が実在に外ならない。
三階から五階まである劇場が自分独りの宇宙として表現してきました。
三階の座席から観る舞台と、五階の座席から観る舞台には、背景画面しか見えないが、四階の座席から観る舞台には、背景画面の前に実舞台も見える。
三階の座席から観る背景画面しか見えない舞台が、わたしたちが目が醒めている所謂現実の虚像の世界のことであります。
五階の座席から観る背景画面しか見えない舞台が、わたしたちが眠っている夢の虚像の世界のことであります。
四階の座席から観る背景画面とその前にある実舞台が、わたしたちの実像の世界であります。
わたしたちは毎日、三階と五階を往復する人生を送っているのですが、三階と五階の間にある四階を通り過ぎているために、虚像である背景画面を実像だと勘違いしているのです。
背景画面の前にある実舞台こそが、実像であることに気がついていないのです。
自分が映っている像のことを実像といい、自分以外のものが映っている像のことを虚像と言い、両方とも映像であります。
背景画面も実舞台も映像の世界であります。
座席が実在の世界であります。
運動の宇宙、変化の宇宙、運命の宇宙、映像の宇宙とは舞台のことであります。
静止の宇宙、変化しない宇宙、宿命の宇宙、実在の宇宙とは自分独りの座席のことであります。
わたしたちは夢の世界で自分を観たことはありません。
夢の世界が背景画面という自分以外の虚像であるからです。
目が醒めている、所謂現実の世界でも自分を観たことはありません。
所謂現実の世界が背景画面という自分以外の虚像であるからです。
自分を確かめるには、自分以外の世界という鏡に映し出されている自分の映像、すなわち実像を観ることでしか出来ません。
自分を確かめるには、四階の座席に座って舞台を観ないと自分の像が映っている実舞台は見えないのに、わたしたちは四階を通り過ぎて、三階の座席から、自分の像が映っていない背景画面だけを観ているのです。
わたしたち人間は、寝ても(眠っても)醒めても夢を観ていると主張する所以であります。
自分が実在するのは舞台ではなく座席であり、座席から観賞する舞台は映像に過ぎないのに、映像である舞台が背景画面という虚像と実舞台という実像に分かれているから、実舞台に映っている自分を実在する自分だと勘違いしてしまうのです。
況してや、自分以外の像(虚像)の世界である背景画面を、現実の世界とダブルで勘違いしているのが、一般のわたしたちであります。
そのことを気づかせてくれているのが、夢の世界と目が醒めている世界のシフトチェンジであります。
三階と五階を往復していると表現している所以であります。
夢を観ている時は現実だと思い込んでいるのに、夢から目が醒めると、現実ではなく夢であったことに、わたしたちは毎日気づいている筈です。
夢の世界と目が醒めている世界を毎日シフトチェンジしているのです。
虚像と実像と実在。
虚像とは自分が映っていない映像。
実像とは自分が映っている映像。
映像とは自分と他者が絡んでいる世界観。
実在とは自分独りだけの座席に座っている世界。
ビッグバンによって誕生した宇宙が150億年掛かって、月という衛星、地球という惑星、太陽という恒星、銀河という星雲などを包含した無数の衛星・惑星・恒星・星雲で構成されている全体宇宙をつくってきたわけであり、そんな宇宙の中で、わたしたち人間も存在していると思ってきましたが、実は、150億年というロングランの映画に過ぎなかったのです。
自分が存在する宇宙は、変化しない宇宙、静止の宇宙、宿命の宇宙、実在の宇宙であったのです。
静止の暗闇と沈黙の宇宙が実在する宇宙であります。
運動の光と音(喧噪)と匂いと味と肌触りの五感の宇宙は映像の宇宙であります。