Chapter 946 睡眠は迷いのバロメーター

運動の光と音(喧噪)の、わたしたちの全体宇宙は厳密に言えば、運動の光と音と匂いと味と肌触りの映像宇宙と言った方がいいでしょう。
感知するものはすべて、肉体の一部である五感の為せる業ですから映像に外ならない。
すなわち部分観なのです。
部分観こそが自我意識(エゴ)であり映像なのです。
自我意識(エゴ)こそが自他の区分けであり、自他の区分けこそが映像に外ならない。
五感が自他の区分け、つまり、内と外の区分けをしているわけです。
肉体全体は内と外の区分けなど一切していません。
皮膚と大気との区分けは五感の一つである触覚、つまり、皮膚がしているだけで、肉体全体は大気との区分けなど一切していません。
地球という太陽系惑星は、母親の胎内で生きている胎児とまったく同じです。
母親である太陽から生命エネルギーを与えられて生きているのです。
胎児は臍の緒という命綱を通じて母親から生命エネルギーを与えられているから、息ができない胎内でも生きることができるのです。
十月十日を過ぎて母親から産み落とされ、自力で息を開始する宣言である“オギャ!”と泣くのを確認して臍の緒が切り落とされるのです。
太陽の一部であった地球は、臍の緒を通じて生命エネルギーを太陽から与えられていたのですが、今から46億年前に太陽から産み落とされ、地球という惑星として独立することによって臍の緒が切り落とされたわけですが、独立した後も、生命エネルギーは太陽から息を通じて与えられているのです。
個人の肉体全体は、大気とも、地球とも、太陽とも、銀河星雲とも、全体宇宙とも、そして実在する静止の暗闇と沈黙の絶対宇宙とも自他の区分けなどなく繋がっているのです。
肉体全体の一部である五感が自他の区分けをしているだけのことであり、自他の区分けでは、大気、地球、太陽、銀河星雲、全体宇宙、つまり、運動の光と音と匂いと味と肌触りの映像宇宙までしか感知できない部分観なのです。
部分観(五感)が自他の区分けをする結果、“自分”という自我意識(エゴ)が生じる。
全体観(肉体)は実在する世界と一体です。
睡眠は肉体全体の問題ではなく、五感という部分の問題であります。
全体観(肉体)は終日無休であります。
映像宇宙だけが休憩を要するのです。
しかも、夢の世界は五感も休憩していないのですから、およそ眠っているとは言えない。
意識が眠っている人間だけが睡眠を必要としているのです。
悟る、覚醒する、愛することができる人間には睡眠は要らないのです。
悟ることができない、覚醒することができない、愛することができない、人生を彷徨い、迷い、四苦八苦している人間だけが睡眠という迷い(人為的暗さ)を必要としているのです。
何故なら、映画(映像)をより明晰にするために、人為的暗さである迷いが要るからであり、睡眠とは迷いという暗さに外ならないのです。
暗闇と暗さとは違います。
暗闇は実体であり、暗さとは明るさの程度の問題であります。
明るさなど本来実在するものではありません。
生・死の生など実在しない、ただの映像(幻想)である。
オス・メスのオスなど実在しない、ただの映像(幻想)である。
善・悪の善など実在しない、ただの映像(幻想)である。
強・弱の強など実在しない、ただの映像(幻想)である。
賢・愚の賢など実在しない、ただの映像(幻想)である。
貧・富の富など実在しない、ただの映像(幻想)である。
幸・不幸の幸福など実在しない、ただの映像(幻想)である。
天国・地獄の天国など実在しない、ただの映像(幻想)である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
健康・病気の健康など実在しない、ただの映像(幻想)である。
神・悪魔の神など実在しない、ただの映像(幻想)である。