Chapter 948 死とは五感の死

十字架に架けられて死んでいったイエス・キリストが復活したと聖書は書いています。
イエスの肉体が生き返ったわけではないし、魂が輪廻転生したわけでもなく、自我意識(エゴ)という部分観が死に、全体観に戻ったことを復活と言っていると捉えた方がいいでしょう。
五感で感知する自我意識(エゴ)が死んだだけで、全体観である肉体は死なないと言った方がいいでしょう。
五感が感知する、つまり、運動することで生まれる自我意識(エゴ)のことを「想い」と言い、肉体が感知する、つまり、運動することで生まれる意識のことを「意識」と言うわけです。
運動するということが生きるということであります。
運動が静止するということが死ぬということであります。
有機生命体としての肉体が消滅しても、有機生命体を構成している物質は何ひとつ消滅しません。
有機生命体としての肉体は部分観としての肉体であり、部分観の肉体の部分が五感に外ならない。
従って、死とは部分観の死であって、全体観の死はない。
部分観である五感と肉体の死だけであり、五感の運動状態である「想い」と、肉体の運動状態である「意識」は静止する、つまり、死ぬわけです。
“肉体は消滅しても、魂は不滅である”とする輪廻転生は真っ赤な嘘であります。
わたしたちは、自分の肉体を部分観つまり有機生命体として捉えており、五感を有機機能器官として捉えています。
コンピュータに喩えれば、コンピュータ・ハードウェアーを肉体と捉え、コンピュータ・ソフトウェアーを五感と捉えている。
輪廻転生は、コンピュータ・ハードウェアーを肉体と捉え、コンピュータ・ソフトウェアーを五感と捉えているのです。
コンピュータ・ソフトウェアー(五感)はコンピュータ・ハードウェアー(肉体)の部分であり、自我意識(エゴ)や意識は有機生命体(部分観としての肉体およびその部分である五感)の運動状態、つまり、コンテンツに外ならないのです。
死とは部分観の死であります。
死とは有機生命体としての死であります。
わたしたちが思っている死とは、部分観としての肉体と五感、つまり、有機生命体の死であります。
有機生命体の有機機能が消滅することを死と言うのです。
従って、死とは五感の死に外ならない。
有機生命体が地球に戻ることを復活と言うのです。
魂とは所詮有機生命体の運動状態に過ぎません。
魂とは所詮映像に過ぎません。
死とは運動が静止することであるから、運動が静止したら映像は消滅するしかないのです。