Chapter 949 動く物(Animal)とは動画面(Animation)

死とは五感(部分)の死であって、肉体(全体)の死はない。
五感とは五感機能(ソフトウェアー)のことであって、肉体(ハードウェアー)ではありません。
有機生命体(Organic body)とは有機能(organic)な肉体(body)のことを言うわけで、五感機能を有する肉体のことであります。
従って、死とは肉体(ハードウェアー)の死ではなくて、五感機能(ソフトウェアー)の死であるのです。
五感機能が働く(運動する)ことによって一枚のスナップ写真の「想い」が生じ、複数枚のスナップ写真をパラパラと捲ると、「想い」が連なって連想が生じる。
静止画フィルムをパラパラ捲ることで動画面が映るのと同じメカニズムで、連想こそが、わたしたちの心であり、魂の正体である映像であり、現実(実体)ではないのです。
実体があるのは肉体(body)であり、摂氏0度以下の水は氷になり、摂氏100度以上の水は水蒸気になるように、有機能(organic)な肉体(body)という物質が相転移するだけです。
有機能(organic)な肉体(body)から無機能(inorganic=mineral)な肉体(body)に相転移することを死と言うのです。
まさに運動から静止になることを死と言うのです。
無機物のことを(Inorganic substance)と言い、(substance)とは実体に外なりません。
有機生命体のことを動物(Animal)と言いますが、“動く物”であり、動画というアニメーション(animation)と同じ語源(anima)で「生命」「魂」のことであります。
死とは動かなくなることであり、「生命」の死とは、「魂」の死に外なりません。
わたしたちは五感機能のことを自分の肉体と思い込んでいるから、五感機能の停止を肉体(body)の死と勘違いしているのです。
五感機能つまり見る・聞く・匂う・味わう・触ることができなくなることを死と言うのです。
死を辛く哀しいことと捉えるのは、見る・聞く・匂う・味わう・触ることができなくなるために起こる感情なのですが、五感機能が光と音と匂いと味と肌触りを媒体にしているために過去情報しか伝達できないことに起因するのです。
『今、ここ』情報ならどうにか出来るのですが、情報の本質が過去・現在・未来という水平的(量的)時間軸に基づいているものであり、『今、ここ』という垂直的(質的)時間軸上には情報は存在し得ない。
辛い、哀しいといった感情は、幸・不幸二元論に基づいたものであり、間違った幸・不幸二元論、すなわち、好いとこ取りの相対的一元論である、“幸福は好いことで、不幸は悪いこと”という間違った考え方が生み出したものに過ぎないのです。
人の死を哀しむのは郷愁(homesickness)であり、所詮病気(sickness)であり、病気は病(やまい)の甲・乙・丙状態の繰り返しに過ぎません。
恋人と別れる感情と同じで、時間が経てば心変わりする。
死の辛さ・哀しさの実相をよく理解することです。
実体である肉体(body)の死はないのです。
映像である魂(anima)が消滅するだけのことであります。