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Chapter 特別版 貨幣制度の崩壊 言葉が運動宇宙の基本原理の一つである「二元論」の間違った判断をさせた結果、好いとこ取りの相対的一元論、つまり、“生は好いが、死は悪い、オスは好いが、メスは悪い、・・・富は好いが、貧は悪い、幸福は好いが、不幸は悪い、・・・健康は好いが、病気は悪い、・・・”といった考え方になってしまい、「二元論」の根幹である質と量の反比例性によって、量的志向の「考え方」になってしまい、超拝金主義の現代社会になってしまった。 質と量の反比例性とは、質的優位性と量的優位性は反比例するというものですから、質的優位性である「強」・「賢」・「富」・・・といったものは量的劣位性である「少ない」わけで、質的劣位性である「弱」・「愚」・「貧」といったものは量的優位性である「多い」ことを示しています。 「富」の代表である「お金」がすべてであると考えるのが拝金主義でありますが、「富」を有する者は「少ない」のが「二元論」の本質であるにも拘わらず、「多い」者が「富」を希求するのが超拝金主義であります。 拝金主義は支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別制度をつくった「少ない」支配者側だけの論理であるのに、現代社会は「多い」被支配者側までが拝金主義に陥っているわけで、超拝金主義とは土台無理な話なのです。 土台無理な超拝金主義を追い掛けるのが、民主主義の正体に外ならない。 「お金」がすべてであるという考え方の土台には「金(Gold)=お金=貨幣」があります。 「少ない」支配者側だけの論理である拝金主義が貨幣制度をつくり、被支配者側から労働力の搾取、つまり、「肉体の自由」を奪うのみならず、「心の自由」までを奪おうとしたのが超拝金主義であり、民主主義であります。 宗教に依る「輪廻転生説」と「自殺罪説」が被支配者側(奴隷)の「心の自由」までを奪おうとしたように、超拝金主義は被支配者側(大衆・民衆・国民)の「心の自由」までを奪おうとしているのです。 民主主義とは「主権在民=国民が主人」と嘯きつつ、国民の「心の自由」を奪おうとする、支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別制度の超洗練された超巧妙な手法なのであります。 奴隷は搾取されていることを自覚していますから、「心の自由」まで奪うことが困難だった結果、支配者側は共犯者である宗教者を利用して「輪廻転生説」や「自殺罪説」を捏造して、奴隷(被支配者側)の「心の自由」を奪おうとした。 古代・中世までの奴隷制度では、宗教が有効な支配手段であったのに、近代の幕開けを演じた宗教革命によって、宗教が支配者側だけのものから、被支配者側のものにもなった結果、「政教分離」が起こり、「輪廻転生説」や「自殺罪説」が被支配者側の「心の自由」を奪う有効な手段でなくなった。 民主主義の近代の誕生であります。 近代にとって、「ルネッサンス」・「宗教革命」・「産業革命」が三種の神器でありますが、蒸気機関の発明によって「産業革命」を起こしたイギリスで自由(競争)主義が生まれた。 それまでの少量生産の家内工業制から大量生産の大工場制になった結果、自由競争することが最も有効な生産手段を生むことを知るに至り、自由(競争)主義が誕生したのです。 少量生産の間は「少ない」支配者側だけのための生産でよかったが、大量生産になると、「多い」被支配者側を巻き込まなければならなくなった。 「多数決の原理」を教義とする民主主義の誕生であります。 自由(競争)主義と民主主義は基本原理からして相矛盾する思想であります。 相矛盾する思想を逆手に取ったのが、イギリスが先頭を切った自由(競争)主義に対抗したフランス・ドイツ・ロシアの啓蒙主義であり、民主主義であり、延いては社会主義であります。 民主主義(社会主義)では、国民は搾取されていることを自覚していません。 表面上は「多数決の原理」が機能しているからです。 選挙によって国民が「主人」を選ぶからです。 「主権在民」の名の下で、「主人」を選ぶのが民主主義の正体なのです。 本当の主人は国民ではないのです。 「主人」でもない国民が「主人」だと勘違いして、「富=お金」を追求するのが、超拝金主義であります。 その時、拝金主義に基づく「貨幣制度」は実質崩壊したのです。 |