第二十九章 復讐決行

高句麗のピヨンヤンへ帰郷しようと思った須佐之男だったが、イナダ媛が須佐之男の子を孕んだ。
クシは大いに喜び、須佐之男に、安心してピヨンヤンに発つように言ったが、イナダ媛が、須佐之男を引きとめた。
今まで、何度もオロチ一族から狙われていたイナダ媛だけに、須佐之男が出雲を離れることに不安を感じたからだ。須佐之男も、フガは信用できるが、他の六人は何時またイナダ媛を狙ってくるかわからない。果たしてフガが他の六人を抑え込むことが出来るか不安だ。特にズガに毒を盛り、首を刎ねたアガが何を企むかと考えると出雲を離れることが出来なかった。
「せめて、媛が出産するまでピヨンヤンへ発つのは控えよう」と須佐之男がイナダ媛に優しく言うと、イナダ媛はほっとした様子であった。それほどイナダ媛はオロチ一族から狙われていた。
「ズガ様は、そなたのことを狙っていたようには思えない。フガは酒・女好きだから危険だが、今はわしと通じておる。一体、そなたを狙っておるのはオロチ一族の誰なのだ?」須佐之男が訊くと、イナダ媛は少し黙っていたが決心した様子で喋り始めた。
「ズガ様がアガから毒を盛られ、そして殺されたのは、わたしが原因だったのです」
イナダ媛は泣きながら話を続けた。
「オロチ一族で、わたくしを狙っていたのは、最初からアガだったのです。須佐之男様とエガ・キガが決闘なされて以来、アガはしばらくはおとなしくしていたのですが、出雲を離れられたら、またわたしに迫って来たのです。それを見かねたズガ様がアガをわたくしの前で窘められたのです。それを恨みに思って毒を盛ったのです」
「そのようなことがあったのか。ズガ様らしいやり方だ。それにしてもアガという男は危険だ。わしがいなくなったらフガも危ない。出雲を発つ前にオロチ退治をしておかなければならない」
イナダ媛から話を聞いた須佐之男は、ナムチにフガあての手紙を持たせた。
「承知した。とフツシに伝えてくれ」とフガは手紙を読んでナムチに言った。
須佐之男がオロチ一族を御室山に招待して酒宴を催したいと申し入れしたのだ。
須佐之男はクシと一緒に御室山の麓で酒宴のための「八塩折の酒」という強い酒を造った。八回も醸成して造った酒だけに強烈で、口に含んだだけで、酒分が口の中でぱっと広がる、味わう余裕も無いほどの強い酒だ。
酒宴の日がやって来た。オロチ一族全員が用意された御室山の麓の酒宴席に座った。
ズガに腕を切り落とされたエガとガガも、須佐之男に初対面で気を失わされたイガも出席していた。
クシが酒宴の挨拶を終えて、特別に造った八塩折の酒をまずオロチ一族のフガに注いだ。
フガは満足気に八塩折の酒を飲み、
「これは、また格別の味だ」と言って「そうだ、これは約束を破ったことになるのかのう」と独り言を言った。
そして他のオロチ一族にもクシは八塩折の酒を注いでまわった。
みんなが、八塩折の酒を飲みながら団欒していると、「うおおお!」とうめき声が聞こえてきた。
みんなが、その声の方向に目をやると、アガが白い泡を噴いて苦しんでいた。
見る見るうちにアガの顔に斑点が浮かんできた。アガは我慢できず、仰向けになって手足を上げて苦しんでいる。まるで猫いらずを食ったどぶねずみのように手足を震わして喘いでいる。
他のオロチ一族の連中も毒を盛られたと思い、杯を落としたが、別に異常はなかった。
結局、アガだけが杯に思いきり塗られた鉛で毒殺されたのだ。
フガが「自業自得だ」と言って、お付きの連中にアガを片付けるように命令して酒宴は続けられた。他のオロチ一族の連中も黙って、安心して八塩折の酒を楽しんでいた。
「これで、後顧の憂いなく高句麗に行ける」と須佐之男は呟いた。