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第三十七章 大和の大王・大物主 ナムチは須佐之男の実子ではなかったが、フツシの名前は大倭の国でも恐れられていた。 だからナムチもフルという名前にしたのだ。 そしてフルが居を構えた所は、出雲の御室山に似ていたので、三室山と名づけ、その麓に、三炊屋媛と暮らしていた。そして最初に生まれた子に宇摩志麻治尊(ウマシマチノミコト)と名づけた。 そして次の子に天香山尊(アメノカヤマノミコト)と名づけた時、三室山を三輪山と変え、畝傍山、天香具山、そしてその中心の三輪山を大和三山とした。 後に宇摩志麻治が物部の祖、天香山が尾張の祖となっていくのである。 そしてナムチ自らが大物主尊(オオモノヌシノミコト)として三輪山に君臨するのである。 ナムチの立派なところは、後々、大和の大王は大物主といい、須佐之男の血を引く子であると言い伝えるため、自らは大己貴尊(オオナムチノミコト)として、三輪山の主祭神を大物主尊、配神を大己貴尊として、自分は控え、須佐之男に対する忠誠を守り続けた。 歴史上では、ナムチすなわち大国主尊は、国譲りをした、ひ弱で、お人よしの大黒さんになっているが、歴史は常に事実を曲げるものだ。 大国主の名が示す通り、日本の国の主だからこそ大国主であることを忘れてはならない。 大国主は、彼が唯一人尊敬した、この島国を統一する大王こそ須佐之男であると信じていたのだ。 大物主と大国主。 歴史家や学者は、大物主は別の人物で、最近では須佐之男とイナダ媛の間にできた第五子である大歳(オオトシ)が饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)となって、大和の大王・大物主だという説が有力になっているが、三輪山に延々と住む住民の間では、三輪山の主人は大国主尊というのが常識になっている。 学者の文献による史実の検証の方が正しいのか、長く言い伝えられて来た、民の伝説の方が正しいのか、判断は難しいが、歴史の史実の信頼性は圧倒的に伝説に分がある。 |