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第三十八章 新しいヤマタのオロチ 高句麗の因幡のヤカミ媛争奪戦でナムチに敗れた七人の兄たちは、その後改心して、李生成の薫陶の下、忠誠に励んでいた。 七人の兄の名前は、ヤムチ、マムチ、タムチ、ノロチ、オムチ、ロムチ、チムチだ。 「まさに、お前たち七人の名前は、うってつけの名前だな」 李生成は笑って言った。 「いいか、お前たち兄弟は出雲を治めにいくのだ。出雲には、お前たちの弟であるナムチがいたが、今は大和の国に行ってしまった。本来はナムチがお前たちの頭領になるはずだったが、ナムチの替わりに、わしの息子フツシの長子である八島野尊が頭領になる。しかしまだ10才に満たぬ子ゆえ、お前たちがしっかり支えてやるのだぞ。八島野尊は山主(ヤマヌシ)という名前だから、これからはヤマチという名にして八人兄弟の末子相続人となる。新しいヤマタのオロチの誕生だ」 そして、七人の男は出雲に向かった。 出雲では、須佐之男とフガが彼らのやって来るのを待っていた。 宍道湖の平田に着いた彼らは簸川を上がって行き、清田のオロチの館に案内された。 須佐之男の横に八島野尊が立っていた。 「まだ九才の子供であるが、お前たちヤマタのオロチの末子でオロチ一族の頭領になるヤマチである」とフガが言って紹介した。 「まだ幼少の身ゆえ、お前たちの忠誠心で支えてやってくれ」と須佐之男も頼んだ。 七人の兄弟が自己紹介するのを聞いて須佐之男はびっくりした。 「なんと、七人揃ってヤマタノオロチではないか」 斯くして、出雲のヤマタのオロチは須佐之男によって成敗され、新しいヤマタのオロチが誕生し、須佐之男の長子ヤマチが頭領になった。 フガは、高句麗に帰る前に、清田の鑪(たたら)で一本の剣をつくり、須佐之男に贈呈した。それが後々日本武尊(ヤマトタケルノミコト)で有名な草薙の剣となった。 そして、代々ヤマタのオロチが所有していた天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は、新しい頭領となったヤマチに譲り、ヤマタのオロチの象徴とすることにした。 須佐之男は、天叢雲剣を見た時、亡き実兄のズガが言っていたことを思い出した。 「わしには、あのフツシにいつか我がヤマタのオロチは成敗されるような気がしてならない。それはそうであろう。あれだけの悪行のやり放題では、いくらわしの持っている天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)も錆びついてしまうであろう。父の李生成から相続の印と賜った聖なる剣であるが、使わなければ駄目になってしまう」 フガが高句麗に、須佐之男が日向に発つ日が来た。 新しいヤマタのオロチの頭領となったヤマチは天叢雲剣を持ち、船に乗り込み草薙の剣を持った父との永遠の別れであった。 須佐之男は、船の上から、イナダ媛他多くの子供たちを見て、まさか二度と出雲の地を踏むことがないとは、その時思ってもいなかった。 ヤマタ(八岐)もまた、須佐之男の別名であり、八に縁のある八坂、八雲、八千矛、八重垣、八島、八井・・・・がすべて須佐之男を表す別名であり、全国に数万の神社がその名で存在していることは、須佐之男がこの島国を統一した初の大王であり、出雲がその起点の場所であったことを窺わせる。そのルーツの名がヤマタ(八岐)である。 出雲を船で発った須佐之男は、予定通り、築の国には上陸せず、そのまま瀬戸の海に入り、東に帆を変え、阿州の倭の国の稲飯(イナヒ)にまず会うために向かった。 この島国が、陽の本(ヒノモト)の国、そして日本と呼ばれるようになったのは、死国の大王稲飯との、この会談がきっかけである。 |