第四章 ズガとスサ

ある日、ズガがクシの家に突然訪れた。
「フツシはおるかのう、クシよ?」とズガは優しい声でクシに言った。
オロチ一族が、わざわざやって来るのは初めてのことで、クシは何事かと思った。
「いいえ、出かけております。何かフツシにご用でも」
「うん、この前の件で、わしはフツシが気に入った・・・」ズガの言葉に我が耳を疑うような想いになったクシにズガが更に言った。
「わしは、あのフツシにいつか我がヤマタのオロチが成敗されるような気がしてならない。それはそうであろう。あれだけの悪行のやり放題では、いくらわしの持っている天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)でも錆びついてしまうであろう。父の李生成から相続の印と賜った聖なる剣であるが、使わなければ駄目になってしまう」といつもの雄々しさがない。
「そんな!フツシがオロチさまを成敗するなんて。とんでもない!」とクシは言いながらも内心、ズガの勘の鋭さに感心した。
「そんなに、心にもないことを言わなくともよい。わしの剣とフツシの持っている剣が呼び合っておる。フツシの持っている剣は何という?」と訊かれ、クシはフツの話を出すわけにいかず、知らないと答えた。
「十束の剣と申します」とフツシの声が聞こえた。
ふたりは、驚いて声のする方を向くと、そこにフツシが立っていた。
「帰ってきたのです、・・・か?」クシの震えた声をズガは聞き逃さなかったが、知らぬふりして、笑った。
フツシもズガの様子で、何かを感じたと思ったが、静かに言った。
「ええ、イナダ姫と一緒に宍道湖に行っておりました」
そしてズガの様子を伺ったが、表情に変化はなかった。
「わしは、他のオロチたちと違って、女の名前を聞くだけで心が動くようなことはない。どうだ、心が動いているように見えたか?」とフツシに尋ねた。
「いいえ、まったくございません」フツシも正直に答えた。
ふたりは顔を合わせて、お互いに笑った。
「恐ろしい大蛇(オロチ)でも全身臭いところばかりではない」と意味ありげな言葉を吐いたズガの表情を見たフツシは、『この男だけは他のオロチとは違う』と思った。
「酒でもいかがでしょうか?」とクシが間に入った。
頷きながら、お互いに顔を見合っているふたりの姿にクシは妙な想いになるのだった。
ふたりに白い杯を渡し、濁り酒を注いでいたクシは、つい本音を言ってしまった。
「兄弟の約束の杯みたいですな!」
言った後、『しまった!』という表情のクシを無視してズガはフツシに言った。
「兄弟の杯とは縁起がいい。フツシはいくつになったか?」
「はい十八でございます」と答えるフツシに、「わしは二十だから兄になるのう!」と言って笑うのであった。
敵同士になる筈のふたりの間に友情が芽生えた瞬間だった。
「前にも言ったであろう、いつかお前と雌雄を決する日が来ると。そのときは思いきり戦おうぞ」と言った、もの悲しいズガの表情を、フツシは一生忘れぬことになるのだった。
ズガが帰っていった後、その光景を陰から見ていたフツが入ってきてふたりに言った。
「よいか、フツシよ。ズガという男は他のオロチと確かに違う。だがヤマタのオロチは八つで一つじゃ。ヤマタのオロチはお前の母の仇敵じゃ。それを忘れるでないぞ!」
「それは、重々承知しております」と言ったフツシであったが、内心は複雑な想いだった。
『この世は、ままにならぬものだ・・・』と思いながら、ズガのことに想いを馳せ、詠うのだった。

「須佐の草 燃ゆる叢雲 八雲月」

一方、ズガも館に帰って来て、兄たちから様子がおかしいと言われたが、今日あったことを何も言わずに、
『この世は、ままにならぬものだ・・・』と月を眺めて詠うのだった。

「初知らす おろちのおもい 八重の月」

フツシがその後、須佐の男と呼ばれ、また八坂や八重や八雲とも呼ばれるようになったのは、このふたりの仇敵の間に友情が芽生えたときからであった。
ヤマタ(八岐)のズガ(須賀)と八坂のスサ(須佐)を祀る須賀神社が、この出雲に建てられたのは、来る運命の日の直後であった。