第四十二章 磐余彦(イワレヒコ)

須佐之男と貴巫女が姉弟でありながら、夫婦でもある関係が続き、貴巫女が女王として君臨し、須佐之男が補佐することで日向を治めていた。そして末子である伊須気余理媛とその婿の磐余彦(イワレヒコ)が後継者と認められた。
一方、阿倭では稲飯が老い、その後を日本武尊が引き継いだ。御齢18才であった。
出雲では、新しいヤマタのオロチが弟ナムチこと大和の大物主尊と連携し、出雲、若狭、丹後、山城、大和と繋がる、当時では珍しい陸路の開発に成功し、元々騎馬民族であった利点を生かして馬で往来する方法を編み出した。
当時の交通機関は河川と海を利用する水路が一般で、それまで出雲から大和に行くには、出雲から一旦西へ向かい、長門を回り周防灘に入り瀬戸の内海を淡の島に向かい、20日間を要した。
ところが出雲から大和の陸路だと4日で行くことが出来る。
「さすがは、大和の大物主になったナムチだ。兄たちヤマタのオロチを見事に操っておる。ヤマタのオロチの頭領ヤマチは、ナムチの応援もあって、若いながらも棟梁の器になってきた。出雲と大和は、しっかりと繋がった。阿倭は日本武尊が見事に治めている。わしらもそろそろ引き時であるのう?」
須佐之男は貴巫女に言った。
「磐余彦は頭も良いし、勇気もあります。あなたの血を引く息子たちの中で誰が磐余彦に対抗出来るでしょうか?」
貴巫女は須佐之男の男子を産んでいないから、出雲のイナダ姫、阿倭の多杵島媛たちが生んだ男子に期待するしかない。
もともと、貴巫女は多杵島媛を気に入っていたから、どうしても日本武尊に贔屓する。
「案ずるな、貴巫女。わしの見たところ、ヤマチは日本武尊の足下にも及ばない。
ナムチの兄たちが補佐しているからオロチの頭領でおれるのだ。器量からすれば、やはりナムチが一番だ。経験もあるし、大和を見事に治め、大物主尊として君臨する力量は、義理の息子とは云え、磐余彦も日本武尊もまだまだ歯が立たぬ。しかし、わしと同じで年を取りすぎた。やはり日本武尊しか磐余彦に対抗できるものはいないであろう。しかし、わしは磐余彦が血の繋がらない息子でも、この島国を統一してくれるなら、この国を託すのに何ら吝かではない。結局、磐余彦と日本武尊の器量争いになるであろう。それがまた楽しみでもある」
須佐之男の話を聞いていた貴巫女は、やはり国を支配するのは男でないと無理だと感じた。それ以来、貴巫女は女王でありながら、ほとんど表面には出なくなってしまい、須佐之男の傍にいて世話をすることに専念した。
後世、貴巫女が天の岩戸隠れと言われた伝説は、ここから来ている。
磐余彦は辰王として朝鮮半島を父の鵜葺王と統一したほどの強者だ。
そして年令も30を過ぎて絶頂期にあった。
須佐之男は二人を会わせてみることを思いついて、日本武尊を日向に呼び寄せることにした。その時、日向を脅かす球磨(クマ)族と囎唹(ソオ)族退治を日本武尊に命じたのである。
日本武尊の熊襲(クマソ)退治は、この時のことを言うのである。
見事、日本武尊は熊襲退治をして西都原に乗り込んで来た。
いよいよ、磐余彦と日本武尊の対面の日がやってきた。