第四十三章 天照大神

須佐之男は二人の対面を楽しみにしていた。
球磨(クマ)族と囎唹(ソオ)族退治を須佐之男から命じられた日本武尊は、若干20才で見事にやりのけ、日向の西都原にやって来た。
磐余彦も大いに感心し、対面を楽しみにしていた。
須佐之男と貴巫女の前で対面した二人は意気投合し、兄、弟と呼び合う仲になり、日本武尊は、しばらく球磨(クマ)族・囎唹(ソオ)族退治の骨休みの為に西都原に滞在した。
「大和のナムチ、日向のイワレヒコ、阿倭のヤマトタケル。この3人は必ず将来の日本の国にとって重要な人材になるであろう。そしてこの国のルーツは出雲である。この出雲を統治するのはヤマタのオロチである。ヤマタのオロチが大和、日向、阿倭を纏めあげる役割を果たさなければならない。ヤマチは重要な役割を担っているが、ヤマタのオロチの真骨頂は八人の男子が団結するところにある。初代ヤマタのオロチはズガ様という立派な頭領がいたにも拘らず、やはり強固な団結力が無かったため滅びてしまった。二代目ヤマタのオロチは頭領の器量はもうひとつだが、他の七人の兄弟がナムチの指導もあって、強固な団結力を誇っておるから、今一番落ち着いておる。日本という国は島国であるから、大和の字の通り、大いなる和を大事にしないと大陸から侵略される。ヤマタのオロチは、その模範となるのだ」
表に出なくなった貴巫女に須佐之男が言うと、貴巫女は頷きながらこう言った。
「大物主、神日本磐余彦尊、日本武尊の三人と八岐大蛇の八人。この陽の本の国で最も、縁起のいい数を三と八に致しましょう。そしてあなたの名前には、すべて八の数をいれて、この国のいたるところに八代を造り、それを社とし、後代の模範とするためにあなたを開祖として神の社と名づけましょう」
そして、貴巫女は全国に須佐之男を祀る神社を造り、真実の歴史を口頭で伝える巫女を置き、神社の由来を伝えるようにした。
貴巫女がその総代になり、神社の産みの親となった。
「わしが神社の祭神なら、そなたは神社の産みの親であり、陽の本の模範になる大いなる神として天照大神(アマテラスオオミカミ)と名づけよう」
こうして二人は、島国の統治は三人に任せ、全国に神社を造る旅に出ることにした。
姉弟であり、夫婦でもある二人は、まず勢州・渡会の神路山から流れ出る御裳濯川(みもすそかわ)にいる月読命の館を訪ねることにした。
父の伊謝那岐と喧嘩別れをして勢州・渡会の地まで来た月読は、御裳濯川を五十鈴川(いすずかわ)と名を変え、勢州の五十鈴川から、その地を五勢(いせ)とした。
「この島国の半分をやっと治めることが出来た。親父殿の李生成が教えてくれた、大陸の大国と対等に付き合っていくためには、半島の国と島国が手を組んでいくしかない。
あとは、あずまの国に住む蝦夷人を如何に治めていくか。まだまだ死ねないのう」
貴巫女に言う須佐之男の顔は、あどけない少年であった。