第四十四章 伊勢神宮

貴巫女、月読、須佐之男の三姉弟は出雲に八岐大蛇(ヤマタのオロチ)、日向に神日本磐余彦(カンヤマトイワレヒコ)、阿州の倭(やまと)には日本武尊(ヤマトタケルニミコト)を配し、そして大和(おおやまと)に配した大物主尊(オオモノヌシノミコト)に日本国の中心となる大和朝廷を築かせ、その後継者には三姉弟の姉である天照大神のいた日向より磐余彦を迎えることにした。
そして大和(おおやまと)の源流である四国の倭(やまと)は日の本の源流として、日本武尊が大和を支える国として陰から統治する日本の真の支配者と位置づけられた。
五勢(いせ)で姉弟が穏やかに過ごすことにした貴巫女は小さな社を鳥羽の海の見えるところに建立した。
そして三人姉弟がこぞって祀る社として伊雑宮(いぞうのみや)と名づけた。
天照大神66才、月読64才、須佐之男61才であった。
その翌年、大和の大物主が58才で死んだ。その後継者であった磐余彦は日向より大和に移り、大和朝廷(おおやまとちょうてい)第一代神武天皇として即位した。
その翌年、須佐之男が死んだ。高句麗から出雲に18才でやってきて、出雲のヤマタのオロチを皮切りに、日向、阿倭をまとめあげ、義理の息子の大物主を大和の大王にした須佐之男は、育ての親である布都、実の親である李生成兄弟の意志を受け、この島国を平和な日本にする大事業を終えて、天照大神、月読の姉兄に見守られながら63才の命を終えたのである。
そして、第一代神武天皇より二百年後、第十代崇神天皇によって大和の地に大神神社、大和(おおやまと)神社、石上(いそのかみ)神宮が建立され、その60年後に、天照大神、須佐之男尊、月読尊三姉弟を祀っていた伊雑宮から新たに遷宮された伊勢神宮が建立された。
内宮には姉の天照大神を皇大神宮、外宮には須佐之男尊を豊受大神、そして内宮のすぐそばに月読尊の別社ができあがり、統一日本国の礎となったのである。

−「ヤマタのオロチ」終りー