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第三十四話 愛の形態 郁子は、自分が産んだ子供に「義」という文字が付けられたのが残念で仕方なかった。 「わたしは、この子を義幹(よしもと)なんて呼びませんからね!」 郁子は雄仁に不満をぶつけた。 「じゃあ、何て呼ぶ積もりだ?」 雄仁の心の中では別のことを考えている。 「たけしが良いわ。そうこれからたけしと呼ぶことにするわ」 深い意味がなかった。 しかし雄仁は深く傷ついていた。 「たけし、たけし、たけし・・・」 雄仁は郁子のことを、この上なく愛している。 「たけし、たけし、たけし・・・」 妄想がどんどん膨らんで来る。 「たけし、たけし、たけし、たけし・・・そうだあの助平警官だ!風俗の店で女が、あの警官に叫んでいた名前がたけしだった!」 雄仁はますます落ち込んで行った。 「そう言えば、郁子を暴行したチンピラの一人は、あの警官によく似ていた!気がつかなかった!」 そう思うと居ても立っても居られなくなって、雄仁は家を飛び出した。 『オヒトちゃん!オヒトちゃん!』 久しぶりのハナからの囁きだった。 『オヒトちゃん!男と女の間には決して見えない真暗闇があるのよ!それを埋めようとしては駄目!』 峰打ち事件を起こした時も同じような感情に振りまわされてしまった結果、後円融のことを本当に慕っていた厳子であったにも拘らず、義満に抱かれる結果になった。 ハナはそれを言っているのである。 『オヒトちゃん!死んでやる!とまた言うの?』 ハナは雄仁の前世の魂を呼び続けている。 例の警官が詰めている交番の前に着いた雄仁は叫んだ。 「たけし!」 雄仁の声で、詰所で居眠っていた例の警官が飛び出してきた。 「どうして本官の名前をご存じなんですか?」 『やっぱりそうだった!』 雄仁は確信した。 「恩を仇で返すつもりか!」 雄仁は警官に毒づいた。 雄仁が気づいたことを知った警官は観念したらしく、口調も変わった。 「あんだあ、やっどわかったんだべ?だがあれはほんどのはなしじゃねえ」 「それじゃあ、あんだとおれどがいっしょの夢をみだっでいうのか!」 雄仁まで訛ってしまった。 「そうです!あれは夢なんです!夢でないといけないのです!」 「夢でねえどいけねえどは、どういう意味だあ?」 お互いの立場がひっくり返っているのを、ふだりは気がづいでいなかっだべ・・・。 三つ巴戦の様相を呈してきた。 三つ巴とは、誰のことであるのか。 雄仁は遂に泣き出した。 「どうか、あれは夢だったと言ってください!お願いします!」 絞り出すように警官に言った。 「そうです。あれは夢でした」 警官が確信を持って言い放った。 「どうかお願いです。ずっと言い続けてください!」 人の好さそうな警官は頷いた。 「そうです、あれは夢でした。そうです、あれは夢でした。そうです、あれは夢でした」 額から出た汗を拭きながら警官は繰り返した。 「お願いです。続けて言わないでください!きっちりわけて言ってください!お願いします!」 懇願する雄仁は必死だった。 「そうです。あれは夢でした」 「そうです。あれは夢でした」 「そうです。あれは夢でした」 警官も必死だった。 何とか納得した雄仁は、家に戻って行った。 「そうです。あれは夢でした」 人間の心は複雑なようで、単純にできている。 言葉の繰り返しだけで事実がつくられる。 旧約聖書に、「はじめにことばありき」と述べられているが、まさに至言である。 家に戻った雄仁が、まだ呟いている。 「そうです。あれは夢でした」 郁子はほっとして思った。 『わたしはこの人のことを本当に愛している』 郁子はそう思いながらも、別のところで、「たけし、たけし、たけし・・・」と叫んでいるのだった。 |