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第九十六話 平凡と非凡 金閣寺でのおだやかな日々が過ぎていった。 近い将来に大事を控えている人間の日々は、淡々と過ぎ去っていくものである。 人間の自我意識は平凡さの中に悦びを見出さないで、非凡さの中に見出そうとする。 すべての人間が平凡さを忌み嫌い、非凡さを求め続ける。 それでは平凡の平凡たる所以は何処かへ雲散霧消してしまう、非凡の非凡たる所以も何処かへ収束してしまう。 平凡の特性は散在してしまう処にあり、非凡の特性は収束してしまう処にあるが、この法則は厳然と働く。 時間の概念は、人間社会だけにあるものだ。 時の流れは、すべて動くものの世界にあるものだ。 夢の世界では時の流れは在るが、時間の観念は無い。 現実の世界は時間の観念は在るが、時の流れは無い。 決行の日である5月5日まで一ヶ月を切った雄仁の精神状態に異変が生じた。 今まで、俗世にいながらにして時の流れの中で生きてきた雄仁だった。 5月5日と具体的な時間が意識下に入ってしまうと、時の流れに身を任せることができなくなる。 その瞬間(とき)から、雄仁は時間を意識するようになった。 一方、南野たけしは先天的厭世主義者である故に、常に時の流れの中で生きている。 ナチュラルなたけしに対し、雄仁は万世一系の血の所為だ。 鏡湖池に足を浸しながら、雄仁とたけしはおだやかな春を楽しんでいたが、ふたりの中味はまったく正反対であった。 雄仁は必至に取り繕う。 たけしは自然に取り繕う。 必至と自然の違いは、取り繕う意味を逆転してしまう。 ふたりの表情にその違いが歴然と表れていた。 「いい季節ですなあ!」 雄仁は言う。 「まったくその通りで・・・」 たけしが応える。 「いやあ!あまりの穏やかな一日で、心が洗われる想いですなあ!」 雄仁が言う。 「そうですか!それは何よりのことです・・・」 たけしが応える。 「心の垢が、この日差しで溶けていくようですなあ!」 雄仁が言う。 「・・・」 「心がほのぼのとしてくる感じでしょうか・・・」 ジャブだ! 雄仁が言う。 「鯉たちも、春ののどかさを楽しんでいるようですなあ!」 雄仁が言う? 「・・・」 たけしは頭を垂れたままだ。 「あの鯉たちのように、人間も仲よくすれば、この世の春を謳歌できるのでしょうなあ!」 雄仁が言う。 「まったくその通りで・・・」 たけしはナチュラルに応えた。 必至と自然の違いはこれほど大きいものである。 必至は必死に繋がり必然を捏造する。 自然は飽くまで偶然である。 必然は人間が勝手につくった神の概念と同じで虚しいものだ。 偶然は自然がつくった空しいものだ。 勝負あり! |