第十三章  極大化された復讐心

モハマッド・ハッサンが、まるでタイムトンネルに運ばれてウルの町にやって来たのは、それなりの理由(わけ)があった。
帰巣本能がその一つだが、それは彼の意思に何ら関わりがないのに対して、もう一つの理由は、彼自身の固有の理由(わけ)であった。
姉アバスを殺したテロリストに対する復讐である。
ナセル大統領時代のエジプトはアラブ連合の盟主として、イスラエルに宣戦布告をした国だ。
1948年の第一次中東戦争である。
ナセルから仕掛けたにも拘わらず、アラブ連合はイスラエルの最新鋭の近代兵器によって蹴散らされ、そのショックで急死したナセルと同じ自由将校団のサダトが後継大統領になると、エジプトはイスラエルとの和平会議を敢行した。
エジプトの首都カイロに、イスラエル要人が大挙して訪れ、彼らの身の安全を図るため、イスラエルの秘密諜報組織MOSSADの多くの工作員もカイロに潜伏していた。
表向きには和平会議成功を目差すポーズを両国は取りながら、実際には、和平会議をぶち壊すのが、彼らの使命であり、そのための綿密な工作活動を進めていたのだ。
和平をちらつかせながら、裏では、戦争を高揚させるのが、彼らの目的だ。
モハマッドの姉アバスは、数あるアラブ諸国の中でもトップ3に入るほどのベリーダンサーの人気者であり、アラブ連合の友好親善大使の役目を負っていた。
イスラエルの秘密諜報組織MOSSADは、アラブ連合の友好親善大使アバス・ハッサンに目を付けたのである。
アバス・ハッサンをテロの犠牲者にすれば、間違いなく、エジプトとイスラエルの関係は元の木阿弥に戻る。
女としての盛りの時期であったアバスはプラスチック爆弾の藻屑と化した。
それまで日和見主義だったモハマッドの心にマッチの火をつけたのである。
『愛する姉を殺したのはジューの奴らだ!』
彼が19才の時に参加した第三次中東戦争では、アラブ連合軍という国家を超えた烏合の衆の無責任さと結束力の無さに、失望し軽蔑さえしたのに対して、イスラエル軍の圧倒的な強さに支えられた結束力に、恐怖と共に畏敬の念を持っていたモハマッドは、イスラエルという国に一種の憧れさえ抱いていたのである。
ところが、姉アバスが彼らのテロ行為によって殺されると、激しい憎悪に変貌したのだ。
国家という集まり、つまり、組織というものの脆弱さを露呈している。
組織には多種多様のものがあるが、組織の基本は数の論理にあり、最大の規模の組織が国家であり、最小の組織が家族である。
全体主義や専制主義といった独裁国家では、最大の規模の組織である国家の為に、最小の組織である家族は徴兵という儀性を強要される。
主権在民の民主主義国家でさえ、憲法で徴兵制が謡われれば、国家の為に家族は儀性にされる。
しかし、組織を構成するのは、ひとり一人の人間であって、本音のところでは最大の組織である国家よりも、最小の組織である家族を優先する。
況んや、家族といっても複数の人間の集まりであり、その中に自分という個人がいて、結局は、自分という個人が最優先になる。
個人の資質と後天性によってバラツキはあっても、組織と個人の問題の根源には変わりはない。
組織の本質に脆弱さを持つ所以だ。
モハマッドにとって姉アバスの存在は特別なものだっただけに、イスラエルに対する復讐心は、国家のみならずユダヤ人という個人にまで向けられることになる。
テロリストにとって最大の要件が、極大化された個人の復讐心だ。
本能のままに行動する者には、如何なる殺しのプロと雖も歯が立たない。
帰巣本能も闘争心の一つであることは、大人になり、死に場所を求めて、生まれた川上に、悠久の大海から、幾千万人と雖も我往かんと、勇猛果敢に突進する鮭は、まさに、戦うプロだ。
更に、愛する者を奪われた悲しみと絶望の中で醸成された、極大化された復讐心が加わると、殺しのプロにとっても戦慄の殺しのマシーンと化する。
更に加えて、輪舞のマスターであるマンスール・アル・ヒラジから、極限の輪舞を会得したモハマッド・ハッサンの光背からは紫色のオーラが輝いていたのである。
紫色は特別な色だ。
七色の可視光線の中で、一番波長が短い。
繊細な色と言ってもいいだろう。
七色の可視光線の中で、一番波長が長いのが、赤色光線であり、赤色光線は怒りのエネルギーを発するのに対して、一番波長が短い紫色光線は慈悲のエネルギーを発する。
愛は怒りをも制する。
怒りのテロリストは掃いて捨てるほどいるが、慈悲のテロリストは砂漠の一粒の砂を探し当てるようなものだ。
モハマッド・ハッサンの胎動がいよいよ始まる。