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第十四章 殺しのプロ ウルの南東にケセラという小さな村がある。 バスラとのちょうど中間にある村だが、ケセラが人間の祖であるアブラハムの生まれた村であることは誰も知らない。 宛てもなく彷徨っていたモハマッドは、ケセラの村外れに立っている石碑に気がついた。 「ダルーン」とアラビア語で書かれてある。 「何ていう意味なんだ?」 怪訝に思ったモハマッドは、通りすがりの農夫に訊いてみた。 「昔からここにあって、誰もどんな意味なのか知らないよ!」 「ここには長老はいないのか?」 その男は背中を見せながら、モハマッドの質問にも手を横に振って立ち去ってしまった。 どんな国でも、どんな都市でも、どんな町でも、どんな村でも、現存しているということは、生成発展の歴史があり、その歴史は書物として残されていなくても、伝説という形で言い伝えられて来た筈で、その役目を負っているのが長老という存在である。 『わからないことがあったら、長老に訊ねてみれば、必ず、求めていた答えが返ってくる』 修羅場を潜ってきたモハマッドが体得した経験則であり、どんな国でも、どんな都市でも、どんな町でも、どんな村でも、長老がいる場所は、研ぎ澄まされた五感でわかるのだ。 視覚動物が、聴覚や嗅覚や味覚や触覚では到底測り切れない距離、つまり、空間の隔たりでも、映像で探知するメカニズムと同じである。 聴覚動物が、視覚や嗅覚や味覚や触覚では到底測り切れない距離つまり、空間の隔たりでも、音で探知するメカニズムと同じである。 嗅覚動物が、視覚や聴覚や味覚や触覚では到底測り切れない距離つまり、空間の隔たりでも、匂いで探知するメカニズムと同じである。 味覚動物が、視覚や聴覚や嗅覚や触覚では到底測り切れない距離、つまり、空間の隔たりでも、風味で探知するメカニズムと同じである。 触覚動物が、視覚や聴覚や嗅覚や味覚では到底測り切れない距離つまり、空間の隔たりでも、風圧で探知するメカニズムと同じである。 否、五感を超えた感覚が六感とするなら、それは、空間の隔たりのみならず、時間の隔たりをも、探知する能力と言ってもいいだろう。 五感は空間の隔たりの中における感知機能だ。 六感は時空間の隔たりの中における感知機能だ。 夢の中で展開される光景には時間の感覚がない、つまり、空間の隔たりの中における感知機能である五感が働いている映像世界だ。 目が覚めている現実の中で展開される光景には時間の感覚がある、つまり、時空間における感知機能である六感が働いている映像世界だ。 だがその潜在能力をまるで発揮していない生き物が人間である。 超能力とは、生きとし生けるものすべてが持ち併せている力に過ぎないのに、人間だけには欠落している。 人類とは決してSurplus(余剰)な生き物ではなく、極めてDeficit(欠落した)な生き物なのだ。 それが幸いしたのか、知性という厄介な代物を反対給付として、意地悪な神から付託されてしまった。 まさに、人類そのものが必要悪の存在なのである。 人間社会だけにある善悪二元論において、悪が実在・本質で、善は悪の不在概念に過ぎない所以である。 人間社会だけにある生死二元論において、死が実在・本質で、生は死の不在概念に過ぎない所以である。 人間社会だけにあるオスメス二元論において、メスが実在・本質で、オスはメスの不在概念に過ぎない所以である。 人間社会だけにある強弱二元論において、弱が実在・本質で、強は弱の不在概念に過ぎない所以である。 人間社会だけにある賢愚二元論において、愚が実在・本質で、賢は愚の不在概念に過ぎない所以である。 人間社会だけにある貧富二元論において、貧が実在・本質で、富は貧の不在概念に過ぎない所以である。 人間社会だけにある天国地獄二元論において、地獄が実在・本質で、天国は地獄の不在概念に過ぎない所以である。 人間社会だけにある神悪魔二元論において、悪魔が実在・本質で、神は悪魔の不在概念に過ぎない所以である。 人間社会だけにある健康・病気二元論において、病気が実在・本質で、健康は病気の不在概念に過ぎない所以である。 そして、 人間社会だけにある支配・被支配二元論において、被支配が実在・本質で、支配は被支配の不在概念に過ぎない所以である。 ここが人間社会究極の問題となり、差別・不条理・戦争という解決不可能な蟻地獄に陥ってしまったのだ。 人類とは決してSurplus(余剰)な生き物ではなく、極めてDeficit(欠落した)な生き物なのだ。 百獣の王ライオンは殺しのプロだ。 五感の中で研ぎ澄まされた嗅覚を持つ生き物は殺しのプロになる資格を有している。 長い臭い腺を持つ生き物は強靭な顎と鋭い牙という武器を持つからだ。 知性を有する草食動物・人間は視覚動物であり、彼らが殺しのプロになる可能性は極めて低いが、視覚動物が、聴覚や嗅覚や味覚や触覚では到底測り切れない距離、つまり、空間の隔たりでも、映像で探知する能力を極大化すれば、殺しのプロになれる。 禽獣類である鷲や鷹の眼はズーム構造を持ち、数キロ先の些細な動きも感知できる殺しのプロだ。 視覚動物が、聴覚や嗅覚や味覚や触覚では到底測り切れない距離、つまり、空間の隔たりでも、映像で探知するメカニズムを有する殺しのプロであり、人間が殺しのプロになるための大きなヒントを彼らは与えている。 モハマッドがケセラの村を一望すると、小さな白壁の家の中にいる一人の老人にズームを合わせた。 「ダルーン」の石碑から500メートルほどの距離だが、近づくに連れて、彼の聴覚が警鐘を発しだした。 白壁の内側から強烈な波動が伝わってくる。 300メートルが200メートルになり、200メートルが100メートルになるに連れて、その波動はますます精妙な振動を送ってくる。 動脈を血液が流れるときの振動に酷似している。 モハマッドは第三次中東戦争に参加して、シナイ山の攻防戦で大腿部に銃弾を受けたことがある。 溢れ出る夥しい血を必死になって止めようと、大腿部を手で抑えようとすると、まるで、電気モーターが回転しているような『ブーン』と強烈な振動音が伝わってくる。 教官から戦闘訓練で教わったことを思い出したモハマッドは一瞬青ざめた。 「人間の血液量は高々6リットルだ。動脈を負傷したら、1分で1リットルの出血をするから、3分で出血多量で死ぬ!」 九死に一生を得たモハマッドは、死のほんとうの恐しさを知った。 爾来、『ブーン』という音がトラウマになっていた。 殺しのプロほど、ほんとうの死の恐ろしさを知っているから、異常な程の警戒心を持つ。 白い壁の前に立ったモハマッドの心臓が『ブーン』という音を発していた。 |