第十五章  ナチュラル(天才)

白い壁の家の前に立ったモハマッドは、視覚から聴覚に焦点を変えてみた。
彼の心臓が『ブーン』という音を発したのは、聴覚に五感の中心が移ったからであり、まさに、研ぎ澄まされた五感になっている証拠だ。
白い壁の家の中には、白い顎髭を伸ばした老人がドアーの前で立っている。
まるでモハマッドがドアーをノックするのを待っているようだ。
普段のモハマッドなら異常な警戒心を持つところだが、何故か不思議なくらい心が落ち着く。
頭では警戒心を発令しているのだが体が同調しない。
心と体は同じではないことを、人間は体でわかっていない。
わかっていないどころか反対に思っている。
心が自分で、体は自分ではないと思っている。
少なくとも、心が自分の主体で、体は心の従体だと思っているのだ。
輪廻転生、つまり、魂は永遠に生き続けるが、体は死んだら消滅すると、人類創世の頃に自ら摺り込んだらしい。
爾来、錯覚の生き方をしてきたのが、我々人類である。
体が主体で、心は体が動いている間、つまり、生きている間だけ機能する体の従体なのだ。
身体全体が主体で、脳が従体だと言い換えてもいいだろう。
身体全体が主体で、五感が従体だと言い換えてもいいだろう。
心とは五感が機能した結果生じるものなのだ。
モハマッドは五感では家の中の老人を警戒しているのだが、身体では信頼しているのだ。
何故か。
理由などない。
理由が見出せるのは五感が機能した時だけだ。
理由が見出せるのは心が機能した時だけだ。
身体全体が機能した時の理由などわかるわけがないのだ。
見えるものは1/3、見えないものは2/3、それが宇宙というマクロ世界から、素粒子というミクロ世界を貫く真理だ。
その間にある人間という有機生命体のミディアム世界の五感機能など、実に鈍感なものなのだ。
モハマッドは、知らぬ間に、誘われるようにドアーをノックした。
運命が宿命になって現実化する時は、五感が水面下に沈んで、身体全体が水面上に浮かんできた時である。
「村の入り口に立っている石碑の意味を教えて欲しいんだが・・・」
無骨な彼の言葉にも気に掛けず、ドアーの前に立っていた老人は気さくに口を開いた。
「ダルーンという言葉のことかね?」
モハマッドはただ肯いた。
どこまでも無骨さを貫く気らしい。
「あれはアラビア語で書かれているが、もともとはアラム語だ」
カイロ大学のアラビア語学科で学んだモハマッドだけに、「アラム語」の意味合いは理解できた。
「そんなことはどうでもいいんだ!意味を聞いているんだ!」
モハマッドのいらいらしている様子にも、その老人はまったく意を介さないで、微笑ながら更に続ける。
「アラビア語では『ダーウィン』と言うようだ」
モハマッドは訝し気な表情をした。
アラビア語に『ダーウィン』という言葉などないからだ。
「俺はカイロ大学でアラビア語を専攻したが、そんな言葉など聞いたことがない」
少しずつ自分のカードを出すモハマッドの若輩さを却って心地よく感じたのか、その老人も自分のカードを一枚出すことにしたらしい。
「アラム語で『錯覚』という意味だよ」
『錯覚』という言葉を聞いたモハマッドは、ますます訝し気な表情をした。
「このケセラという村こそアブラハムが生まれた所であり、人類発祥の地だ・・・」
家の中に誘い入れるためか、その老人はモハマッドに背中を見せながら、奥に入っていった。
他人に背を見せることは絶対にしない癖をバスラで受けたテロリストの訓練で体得していた彼にとって、老人の一挙手一投足は理解に苦しむことばかりであった。
背中を見せる人間には透かさず攻撃の手を出す。
背中に回った人間にも透かさず反撃の手を出す。
人為的な殺しのプロの持つ習性である。
一瞬反射神経的に動作を起こそうとしたモハマッドだが、この老人には通用しない。
体が動かないのだ。
頭では攻撃を発令しているのだが体が同調しないで、老人の後を随いていくだけだ。
『どうしたのかね?わしに攻撃をしてこないのかね?』
老人の背中から「沈黙の声」が発している。
『「沈黙の声」だ!』
モハマッドはマンスール・アル・ヒラジのことを思い出した。
『彼が言っていた「沈黙の声」だ!』
マンスール・アル・ヒラジは輪舞のマスターだ。
輪舞を開発した天才舞踊家バーツラフ・ニジンスキーの後を継いだマンスール・アル・ヒラジは、人間の心と体を分離することによって、心を自分だと錯覚してきた自分は偽者の自分であり、体こそが本当の自分であることを輪舞で会得した。
バーツラフ・ニジンスキーと同じロシア系ギリシャ人であるゲオルグ・グルジェフは、輪舞に「ストップ・エキササイズ」という手法を導入した。
ゲオルグ・グルジェフの「ストップ・エキササイズ」のニューヨーク公演は有名だ。
彼の数十人の弟子たちが舞台の上で輪舞を舞う。
彼が「ストップ」と声を掛けるまで、彼らは舞い続ける。
舞うと言っても、目を瞑って、両腕を水平に上げてぐるぐる回り続けるだけだ。
目を瞑ると三半規管が機能しなくなって平衡感覚が失われ、同じ場所で回り続けることが出来なくなる。
舞台から転げ落ちる弟子たちもいるが、グルジェフが「ストップ」と発するまで、彼らは踊り続けなければならない。
「キャー!」
観客席から悲鳴の声が上がる。
「やめて!」
しかし、グルジェフは「ストップ」を発しない。
次々と弟子たちが舞台から転げ落ちる。
「ストップ!」
グルジェフがやっと彼らを制止した。
舞台の上で、両手を上げ、片足を上げたまま静止している者もいれば、舞台から転げ落ちた状態のままで静止している者もいるが、全員恍惚状態の表情をしている。
グルジェフの「ストップ」の命令で体は静止しているのだが、心は慣性の法則で依然回り続けていることを発見したからだ。
心と体が分離していることを発見したからだ。
その瞬間(とき)始めて、人間は気づく。
『本者の自分は体で、心は偽者の自分だ!』ということを。
『肉体は滅びても、魂は永遠であるなんて、嘘っぱちである』ということを。
彼らが恍惚状態なのは、そのことに気づいたからだ。
これこそ「沈黙の声」の正体だ。
モハマッドに背中を見せて「沈黙の声」を発する老人は、普段の行為の中で「沈黙の声」を発しているのである。
『これこそナチュラル(天才)だ!』
モハマッド自身が「沈黙の声」を発していることを、その時まだ彼は気づいていなかった。