第二十一章  経済制裁という不条理

ドバイは商いの町だ。
アラブ首長国連邦(U・A・E=United Arab Emirates)の首都はアブダビである。
東のペルシャ人、西のメキシコ人と商売をすれば、「ケツの毛まで抜かれる」と言われるほど、イラン人との商売は難しい。
商売とは、“お客さまは神さま”では決してない。
商売とは、売買のことであり、売り手と買い手は五分・五分の対等関係で成立する。
何故なら、売買の原点は物々交換であり、対等関係でなければ物々交換は成立しない。
西はローマから東は長安まで続くシルクロードは売買の市場(マーケット)であった。
ダマスカス(シリアの首都)、アンマン(ヨルダンの首都)、ジェッダ(サウジアラビアの商都)、ドバイ、そして、テヘラン(イランの首都)はシルクロードの中でも大市場であり、そこには必ずスークと呼ばれる市場(いちば)がある。
ペルシャではバザールと呼ばれている。
ドバイはアラブの国だが、ドバイで商いをする大抵の人間はペルシャ出身である。
「アル・ハファイエル・スークに行ってみませんか?」
マンスールが誘いをかけた。
ドバイ一の大スークだ。
「そこに何があるんですか?」
マンスールの表情が一変する。
それもそうだ。
バスラでテロリストの訓練をしていた頃の荒々しいモハマッドとまるで違うからだ。
モハマッドは咄瑳にリビアの国家元首モアマール・カダフィーのことを思い出した。
1969年9月1日。
若干27才の陸軍少佐モアマール・カダフィーは、大群集を前に、王制打倒を高々と打ち上げた。
その目的は、第三次中東戦争によりスエズ運河が閉鎖されて以来、地中海に面している産油国リビアを支配していた国際石油資本に対抗するためであった。
1951年にイタリアの支配下にあったリビアは、イタリア敗戦によりリビア王国として独立した。
しかし、スエズ運河閉鎖によりペルシャ湾から地中海へのタンカーの道を断たれた国際石油資本、特にソ連と太いパイプを持つ、ロシア系ユダヤ人のアーマンド・ハマー会長率いるオキシデンタル社が中心に、欧州への石油供給拠点としてリビア王国に白羽の矢をたてた。
欧州への石油供給の25%を国際石油資本から強制的に担されたリビア国王に不満を抱いたカダフィー陸軍少佐は、他の青年将校と共に、国際石油資本からの自由を得るための革命であると大衆に訴えたのだ。
それまで、イスラエルに対する憎悪をそれほど持っていなかったモアマールだが、通称ドクター・ハマーがソ連と気脈を通じたユダヤ人であったことから、一気に反ユダヤ主義に傾倒し、イスラム世界建設へと走ることになった。
カダフィーが反米主義だと思われているが、アメリカの国際石油資本、特にロックフェラー一族が支配するスタンダード石油傘下の石油メジャーに対するアンチテーゼが、その実体であることを世界は余り知らない。
結果的には、アメリカという国は、ロシア革命、第一次世界大戦、世界大恐慌というアメリカに住むロシア系ユダヤ人によるシナリオによって、彼らに支配される国となっていったのだ。
アメリカ大統領は、単に彼らの前衛に過ぎない。
最も典型なのが、ニューディール政策によって、歴代アメリカ大統領の中で唯一12年間、その職に就いていたフランクリン・ルーズベルトだ。
彼は、最も汚職にまみれた大統領であるにも拘らず、名大統領の名をほしいままにした。
実際は、ロックフェラーの指示で動いていただけである。
石油が中東のアラブ地域で大量に埋蔵されていることが判った彼らは、石油シンジケートを結成した。
いわゆる石油メジャーの誕生だ。
結果、アラブ諸国を支配する戦略が各産油国で展開され、産油国のすべてが立憲君主制国家であったことから、王家と結託して油田の発見・掘削から精製、そして卸しまでの権利を掌握し、油田は産油国にあっても、実質の支配者は、彼ら石油メジャーだった。
しかし、イラクとリビアに反発が起き、王制は崩壊し、共和制社会主義国家となっていった。
イランも結局、その後、仲間入りすることになるのだが、彼らの共通テーマは反米であり、それは今もなお続いている。
戦争というものの原因は、常に経済問題がその根源にあり、二十世紀に入ってからは石油問題が常に戦争の動機・原因になっている。
それほど、国際石油資本つまり石油メジャーの影響力は大きかったのである。
アラブのイスラム教圏世界の建設の動機は、決してイスラム教対キリスト教・ユダヤ教という宗教問題ではなく、石油の利権を守ろうとする石油メジャーからの産油国の独立であった。
モアマールが、革命後、最初に取り組んだのが、石油メジャーとの石油価格交渉であったことが、その目的を如実に表している。
評議会議長になったモアマール・カダフィーは実質、社会主義人民リビア・アラブ共和国の国家元首であったが、革命後陸軍大佐になったまま、陸軍キャンプに常駐する生活スタイルを変えなかった。
欧米資本主義自由体制国家は、モアマールのリビアをテロ集団の巣窟だとし、その指導者である彼を徹底的に悪人扱いするプロパガンダを彼らの支配下にあるマスコミを通じて世界に発信する戦略で対抗した。
それは彼らの常套手段であり、イラク戦争で指導者サダム・フセインがその標的にされ、再び、リビア・イラク・イランの民族資本による石油支配に楔が打ち込まれた。
その背景には常に石油利権が絡み、その支配をしている国際ユダヤ資本との確執を忘れてはいけない。
アレキサンドリアのガラブは、リビアが世襲の立憲君主国家の時から、リビアの石油をエジプトにただ同然で輸入する商売をしていた。
それは、リビアの首都トリポリが、古代フェニキア人の造った歴史的な町でリビア王家と、一大文明国家のエジプト王家とは常に縁戚を結んでいた古い歴史的関係があったためである。
ところが、モアマール・カダフィーが国家元首になった現在のリビアから、同じ有利な条件で石油をエジプトに持ち込むことが出来るかどうかが不透明になった今、どうするかをエジプト政府と協議する為にカイロにやって来て、ドッキ・シェラトンでモハマッドと出会ったのだ。
「ひょっとしたら・・・」
モハマッドに呼応してマンスールが頷いた。
「そうです。カダフィー閣下があなたをお待ちです」
世界に反米感情を最も強烈に打ち出した男が、いま岐路に立っていた。
石油メジャーから独立して、石油の民族資本化に成功したカダフィーだったが、金融市場の網の目に引っかかったのだ。
石油メジャーも穀物メジャーもユダヤ国際資本の支配の下にあるなら、金融市場も彼らの傘下にある。
石油輸出で得たいわゆるオイルダラーを預けている金融機関が、まさかの裏切りをしたのだ。
アメリカ政府が得意とする経済制裁だ。
石油メジャーが支配していた時代は、石油輸出禁止措置という経済制裁を十八番(おはこ)にしていたアメリカ政府だったが、石油の民族資本化が進むことによってメジャーが石油支配権を失うと、今度は預金を凍結するという金融制裁をはじめたのである。
モアマール・カダフィーはこの危機状態の打開のため、ドバイにやって来たのだ。