第三十章  聖戦(ジハード)

2007年6月8日。
モハマッド・ハッサンはイラクの首都バクダッドにあるメリア・マンスール・ホテルにチェックインした。
1990年8月2日、イラクがクエートに侵略したことがきっかけで起こった湾岸戦争の際に、多国籍軍のプレスセンターとして名を馳せたのがメリア・マンスール・ホテルであり、アメリカ大手のテレビ局を尻目にCNN放送を世に出したホテルでもある。
当時、イラクのフセイン大統領が新興テレビ局であるCNNだけに取材許可を与えたのは、他の放送局、つまり、CBS、ABC、NBSといった大手テレビ局はすべてユダヤ国際資本の支配下にあるという理由であった。
つまり、公正な放送をしないことを危惧したからである。
同じ時、マンスール・アル・ヒラジはイランの首都テヘランにある、インターコンチネンタル・ホテルにチェックインした。
テヘラン大学の真前にあるインターコンチネンタル・ホテルは、バザール通りにあるロイヤルガーデン・ホテルとともに、嘗てアメリカ大使館占拠事件の際に、テヘラン大学の学生が根城にした場所である。
マンスール・アル・ヒラジはその時のことを思い出していた。
イラン革命でアメリカに亡命していたパーレビ前国王の引き渡しを要求して、1979年11月4日、テヘラン大学の学生たちがアメリカ大使館に乱入し、館員を人質とした。
関係各国、機関の調停が実らず、同月13日にはアメリカによるイラン原油全面輸入停止とイランの対米原油輸出停止が同時に発表され“石油断交”の強硬措置が採られた。
イラン革命の指導者アヤトラ・ホメイニはアメリカ大使館をスパイの巣窟として、イスラム法廷で裁判を行い死刑にすると発表、人質に不測の事態が起こった場合、アメリカは報復的軍事行動をとる可能性があると当時のカーター大統領は発表した。
1979年11月に起こったテヘランの米大使館占拠事件は、大使館員を人質としたまま、1980年4月を迎えても解決のきざしはみられなかった。
事態を憂慮したカーター大統領は、4月7日イランとの国交断絶を声明し、食糧品と医薬品を除く全品目の対イラン禁輸、凍結されているイラン政府資産の没収準備などを発表した。
人質の早期解放を図るカーター大統領は、1980年4月も終わりに近づいた酷暑の始まる前に人質奪還の強行作戦を試みたが失敗。
C30大型輸送機でカビル砂漠に進入したアメリカ特殊工作部隊は、カビル砂漠を拠点にしてヘリコプターでテヘランに進入する作戦を採ったが、ヘリコプターの故障で作戦遂行が不可能となり、撤収中にC30型機とヘリコプターが衝突して、アメリカ兵8名が死亡した。
イラン人学生がテヘラン米大使館を占拠、館員67人を人質にした米大使館占拠事件は、1980年に入っても解決のきざしがみられず、4月7日のイランとの国交断絶、4月25日の武力救出作戦も事態を好転させなかった。
カーター大統領は任期中に人質の解放を実現すべく懸命の努力を続け、ようやく任期満了直前の1981年1月19日に、米・イラン人質解放協定の調印にこぎつけた。
同協定によって、イランは52人の人質をアルジェリアで解放し、アメリカは凍結していたイラン在米資産を返還することになり、この紛争は442日ぶりに解決をみることになった。
マンスール・アル・ヒラジはアメリカ大使館人質52人をアルジェリアで解放すべく同行したのである。
イスラム教シーア派の国イランでは、マンスール・アル・ヒラジという名前は、イスラム教開祖ムハンマドより尊敬されている。

“ひとりのイスラム教徒がコーランを熟読して、読誦(どくじゅ)出来るほどになっていた。
突然、彼は、アラーの神は唯一神などではなく、誰の中にもいると悟った。
そして、みんなの前で、『Anal Hak(アナル・ハク)!』と叫んだ。
『我は真理。我は神!』という意味だ。
ところが、イスラム教の教義では、アラーの神だけが唯一の神である。
イスラム教徒は彼がアラーの神を冒涜したと思った。
イスラム教徒たちはアラーの神を冒涜したと怒り、マンスールを十字架に架けた。
彼らは十字架に架けたマンスールの両足を切り落した。
それでも、彼は『Anal Hak(アナル・ハク)!』と叫び、歓喜の想いで笑っていた。
今度は、彼の手を切り落した。
それでも彼は生きていた。そして『Anal Hak(アナル・ハク)!』と依然叫んで笑っていた。
更に、舌を切り取り、目をくり抜いても、彼は生きていた。
そして、心の中で、『Anal Hak(アナル・ハク)!』と叫び笑っていた。
そして最後に首を切り落された。
凄まじい拷問を受けても、彼は自身の神を信じて至福の境地にいた。”

そんなマンスールの魂を受けているアル・ヒラジは、バクダッドのモハマッド・ハッサンに想いを馳せるのだった。
“これは聖戦(ジハード)だ!”
二人の想いは一つだった。