|
第三十八章 奪取計画 第二次世界大戦後、国際石油資本に対抗する民族石油資本が産油国の間で雨後の筍のように誕生していった。 その先鞭を切ったのが、リビアの国を無血革命に導いたカダフィー大佐とイラクのサダム・フセインである。 両者とも軍人だったが、サダム・フセインはその後、大統領までなったのに対し、カダフィーは国家元首の立場にいながら、大佐の称号を下ろすことはせず、住まいは以前と変わらない軍キャンプに置いていた。 モハマッド・ハッサンはカダフィー大佐の密命を受けてバビロンに潜入した。 国際石油資本、つまり、メジャーと民族石油資本は、第二次大戦後は不倶戴天の敵同士であったのに、国際石油資本がセブン・シスターズからスーパー・メジャーに収斂して行った中で、民族石油資本、特に石油輸出国機構(OPEC)の中心的役割を担うアラムコ(ARAMCO:サウジアラビア国営石油会社)が再び、以前の大株主だったエクソンの軍門に下ったのである。 革命前のパーレビ政権下のイランと同じ立場にサウジアラビアがなってしまったのだ。 このままではアラブ産油国は大戦以前の状態に戻ってしまうと、カダフィー大佐は危機感を覚え、手を打ったのである。 ペルシャ湾からタンカーで積み出す石油は、サウジアラビア産でも、イラク産でも、イラン産でも元油田は同じだ。 一方、リビア産の石油はトリポリから積み上げされて、スエズ運河を通って紅海に出るか、地中海を渡って、西ヨーロッパ諸国に運ばれる。 ロシア出身のユダヤ人・アーマンド・ハマー率いるオキシデンタル・ペトロリアムはヨーロッパ向け石油の商売をしていたから、リビアの石油に魅力を感じていた。 カダフィー大佐が革命を決意した最大の動機がオキシデンタル・ペトロリアムをリビアから追い出すことにあり、見事に成功したのだ。 しかも、国王をリンチに架けない無血革命に成功した。 民族石油資本が優位に進めてきた大戦後の石油ビジネスをそのまま放置しておくような甘い考えは、国際石油資本の連中にはないことを、彼は重々承知していた。 “やはり、ガルフが火薬庫になる!” バビロンに潜入したマハマッド・ハッサンに想いを馳せながら、首都トリポリの郊外にある軍キャンプからカダフィー大佐はテヘランにいるマンスール・アル・ヒラジに連絡を取っていた。 |