第四十二章  因縁の関係(カダフィーとサダト)

「じゃあ、9時にビデオ倶楽部でね」
ハンナの父親は高級官僚で、昔からの上流家庭に育ったから、カイロで一番格式のあるビデオ倶楽部には両親と共に、小さい時から出入りしていた。
「こんな事件があったから、家まで迎えに行こうか?」
モハマッドは、ハンナの家庭を知りたくて、迎えに行こうとしたのだが、ハンナは笑みを浮かべて軽く首を横に振った。
エジプトでの夕食は遅い時間から始まる。
厳しい気候の中での知恵で、仕事は朝から一シフトだけで、昼食の時間抜きで午後3時まで続けられる。
それで一日の仕事は終了する。
3時から昼食をとるから、夕食も当然遅くなる。
9時頃から始める夕食は12時まで延々と続けられる。
しかも、朝は7時にはもう仕事を始めているから、当然ながら睡眠不足になる。
その分を補う為に、3時の昼食後昼寝をするのが彼らの習慣なのである。
モハマッドもハンナも、一旦家に帰って出直すつもりだった。
瓦礫の山となったシェラトンホテルのエントランスで、ハンナと別れたモハマッドを1台の車が待ち受けていた。
ユニバーシティー通りに出たモハマッドの処に、その車は走って来て急停車した。
ドアが開けられ、中を覗くとカスティーヨが座っていた。
「やっぱり、叔父さんですか!」
モハマッドの言葉を無視するように、助手席に座っていた男が出て来て、強引にモハマッドを車の中に押し込もうとした。
「俺の甥だから、手荒なマネをするな!」
カスティーヨが怒鳴ると、その男は直立不動になって立っていた。
「まあ、乗れよ、モハマッド」
静かな口調で言ったので、モハマッドも黙ってカスティーヨの隣の席に座った。
「お前とは初対面だな。オサマは元気かい?・・・・・・そうか、ずっとシナイにいたんだな。今夜はゆっくりシナイの話をしよう」
モハマッドは迷った。
カスティーヨとも話をしたかったが、ハンナとのデートも諦め切れない。
「何だ、あの女の子とデートかい?」
見抜かれたと思ったモハマッドは、居直って正直に言った。
「ビデオ倶楽部で9時に約束しているんです」
カスティーヨは笑いながら、「兄貴のオサマとよく似て正直だな。それじゃ、9時までビデオ倶楽部で話そうか」
モハマッドも嬉しそうに頷いた。
ビデオ倶楽部は、ギザのピラミッドに通じるギザアヴェニューにある、カイロで最も高級な会員制倶楽部だ。
24時間オープンで、エジプトのVIPが集まる処だ。
二人が入って行くと、軍服姿の高級将校達がカスティーヨの処に寄って来て握手をした。
『叔父さんは、かなりの大物なんだなあ!』
感心していると、目の前に鼻の下に髭のある初老の男が立っていた。
彼の顔を見たモハマッドは、「ああ!」と叫んだ。
「ムラ、久しぶりだね。カイロ中央警察での仕事は楽しくやっているかい?」
その男性は、口髭をつけた精悍な顔つきをしていた。
「はい、楽しくやっております。閣下」
モハマッドは思った。
『やっぱり、サダト大統領だ』
サダト大統領は、故ナセル大統領と一緒に、エジプト独立の時の立役者であり、ナセル大統領時代は、副大統領としてナセルを補佐していた。
激情型のナセルに比べて、冷静沈着なタイプのサダトは余り目立たなかった。
アラブ連合軍を結成して、イスラエルの中東戦争を起こそうとするナセルに賛成してはいなかったが、アラブ世界の英雄に祭り上げられたナセルに反論する者はもはやいなかった。
1958年の第一次中東戦争から1968年の第三次中東戦争までは、ナセルの名声とは裏腹に、イスラエルの圧倒的勝利に終わっていた。
シリアのアサド大統領などは、露骨にナセル批判をし始めていたが、ヨルダンのフセイン国王が必死にナセルを援護したから、アラブ連合は雲散霧消しなかった。
その中で、イラクバース党の総裁になったサダムフセインが、イラクの大統領になり、本格的独裁政権の地盤を固めて、シリアのアサドと歩調を合わせていた。
そんな時に、ナセルが心労から急死したのだ。
アンアール・サダト。
その名が示す通り、純粋エジプト人ではない。
エジプトの南に位置して、ナイル川のもう一つの合流地点ハルツームを首都にするスーダンの人種が混ざっている。
エジプトがアフリカ大陸にあるといっても、アフリカのイメージがない古いアラブ国家であるのに対し、スーダンは、その下のエチオピア、ソマリア、そして紅海の向こう岸にある、アラビア半島の最南端の国、イェーメンと共に、アフリカ大陸で最も古い歴史を持つエチオピア圏の国の一つであった。
人種的には、古代エジプト人の血を強く引き継いでいる。
現在のエジプト人と、ピラミッド時代やローマ帝国時代のエジプト人とは、人種的には全く違うのである。
その頃のエジプト人は、エチオピア系であったから、シバの女王がエチオピア人かイェーメン人だと言われている所以である。
アンアール・サダトは古代エジプト人の血を強く引いているスーダン人なのである。
「もう朝の御祈りをカイロの人たちに聞かせてあげないのかい?」
大統領は、親しげにカスティーヨに話しかけた。
「ミッションを終えたら、またザガジッグ・モスクに戻ります」
「ミッションねえ!」
暗い表情になった大統領は、カスティーヨの言う「ミッション」の意味を知っている様子だった。
『何故大統領は、叔父さんのミッションを知っているんだ。確か、今度の大統領は、叔父さんがやろうとしている対イスラエルゲリラ部隊の結成には反対だと聞いていたのに・・・・・』
モハマッドは心の中で呟いた。
「閣下は、わたくしのミッションに対して、ご反対されていると聞いておりますが、そうなのでしょうか」
カスティーヨが、ずばり大統領に訊いてみた。
「いや、ゲリラなら反対しません。それがテロになる危険性があるから、心配しているのです。テロはあなたも承知の通り、イスラエルの十八番(おはこ)ですから、そうなれば、彼らの思う壷になってしまいます。リビアのカダフィー議長も、テロとゲリラをきっちりと区分けしておかないと危険です。だがカダフィー議長も軍人出身ですから、ゲリラ戦術を忌み嫌うのです。わたしも軍人でしたから、ゲリラ戦術というのは、余り好みません。しかしアメリカという大国をバックにしたイスラエル相手なら、ゲリラ戦術しかないと思います」
カスティーヨは大統領の真意を聞いて安心した様子だったが、モハマッドがリビアに行き、イラクに行ったのは、明らかにテロリスト集団の結成だったのを、カスティーヨは気づいている筈だった。
「もちろん、わたしのミッションはゲリラ部隊の結成であって、テロリスト集団の結成ではありません」
そう言って、彼はモハマッドの方に目をやった。
モハマッドは下を向いてしまった。
「この方は?」
大統領がモハマッドの方を向いて言った。
「わたしの甥でモハマッド・ハッサンです。今日ドッキシェラトンで爆破事件がありましたが、それに関わっているようです。今日ポートサイドから戻って来たのですが、その前はシナイ半島に、その前はイラクのバスラに、その前はリビアのトリポリに行ってたようです」
モハマッドはびっくりしてカスティーヨの顔を見たが、彼は平然としている。
「それでは、ガラブ氏と一緒にカダフィー議長のところに行ったという方は、あなたの甥御さんだったのですか?」
またまたモハマッドは驚いた。
『一体どうなっているんだ!すべてお見通しじゃないか』
「例のテロリスト訓練生たちですね」
大統領は、驚きもせずに淡々と話した。
「叔父さん、僕は一体・・・・」
モハマッドは遂に我慢しきれず、声を発してしまった。
「ところで、今日はここへ甥御さんと夕食に来られたのですか?」
大統領がカスティーヨに訊いた。
「いえ、彼がここで9時にデートの約束をしているので、それまでお茶でも飲みながら、話をしようと思いまして・・・」
「そうですか、わたしも9時にここでディナーの約束がありますが、それまで時間がありますので、ご一緒しませんか?」
大統領の方からモハマッドに声を掛けた。
「いえ、僕はどんな命令にも従います」
咄嗟に口を開いたモハマッドだった。
「やはりテロリスト訓練の成果が出ていますね」
大統領は笑いながら、カスティーヨに言った。
「本当に、そうですね」
カスティーヨも相槌を打った。
それから、9時前迄、モハマッドは殆ど口もきかずに、二人の話を聞いているだけだった。
『早く、ハンナが来ないかなあ!』
その瞬間(とき)、ハンナの声がモハマッドの後からした。
「大統領!」
後を振り返ると、ハンナと一緒に気品のある婦人が大統領に声をかけていた。
「やあ、マダム・ライラ!先に来ていたのです。ミスターヨセフは?」
ハンナの横の婦人と話している大統領の目が、倶楽部の中を見まわしている合間に、ハンナがモハマッドの傍に来て囁いた。
「お母さんと、お父さんが、一緒に来るっていうもんだから。まさか大統領と約束しているなんて知らなかったわ」
ビデオ倶楽部でのデートが、思いもよらないパーティーになってしまった。