第四十五章  サダトの暗殺者

「村木さん!あなたは、亡きサダト大統領とは親密な関係だったようですね?」
カダフィーから問い掛けられた村木は、あの時のことを思い出していた。
サダト大統領が暗殺された時、村木はカイロにいた。
イラン革命が勃発し、テヘランから脱出した村木にとって、カイロはまさしくオアシスだった。
1981年10月6日。
第四次中東戦争開戦記念とその勝利を祝うパレードが行われた。
何重にも張り巡された警護の中、パレードにおける火器使用の規制が行われている。
殆どの人間が、エジプト空軍のソ連製戦闘機ミラージュが上空を飛行しているのに気を引かれていた、そんな中で事件は起こった。
パレードのトラックが大統領の謁見席の前で停止して、ハリド・イスランブリ中尉が前に歩いてきた。
大統領は彼の敬礼を受けようとして起立した途端、暗殺者は、“ファラオへの死!”と叫びながら手榴弾を投げつけ、倒れた大統領の上から、自動小銃を乱射した。
1970年9月28日。
ナセル大統領が死去した。
副大統領であったサダトは、国民へ大統領の死去を伝えるスピーチを行った。
ナセル政権下で、国務大臣、国家連合長官、国民会議のスポークスマン、更に副大統領及び大統領議会のメンバーとなったサダトは、ナセルが心臓発作で急死すると、エジプト共和国第三代大統領に就任した。
ナセルの社会主義的経済政策を改めて、自由化を進めると共に、イスラム復興主義の運動を促進、エジプトの路線を大きく右旋回させたのである。
1973年10月6日。
シリアと共同でイスラエルに開戦し、第四次中東戦争を起こし、イスラエル軍に勝利して、一躍国民的英雄となった。
一方で、ナセルの外交路線を完全に覆し、アメリカに急接近する。
1977年にイスラエルのメナヘム・ベギン首相の招聘でイェルサレムを訪問。
イスラエル・エジプト間の和平交渉を開始し、翌年のキャンプ・デービッド合意にこぎつけた。
この歴史的合意により、サダト大統領はベギン首相と共に、1978年ノーベル平和賞を受賞した。
しかし、この単独和平交渉は、パレスチナのアラブ人同朋に対する裏切り行為と受け取られ、アラブ諸国とイスラム教徒の反感を招き、サダト政権は次第に孤立してゆく。
経済の自由化に伴う、エジプト社会の貧富の格差が急速に広がり、腐敗が横行したことによる国民の不満も高まっていた。
1981年9月、サダト大統領は、共産主義者、ナセル支持者、イスラム原理主義者、大学教授、ジャーナリスト、学生運動家といった知識人及び政治的活動家、その数1600人を厳しく取り締まり拘束した。
そして、
1981年10月6日。
第四次中東戦争開戦記念とその勝利を祝うパレードが行われた中で、サダト大統領は暗殺された。