第五十二章  新しい人間

最も強き生きものの資質は、死を極端に怖れることだ。
最も弱き生きものの資質も、死を極端に怖れることだ。
中途半端な生きものの資質は、死を怖れないことだ。
最も弱き生きものだけが、最も強き生きものになれるのである。
人類が最も強き生きものになれた理由は、人類が最も弱き生きものだったからである。
まさに、必然性と偶然性の妙だ。
必然性と偶然性の妙は、振り子の原理によく表われている。
右端に辿り着けたものだけが、左端まで辿り着くことができ、永遠の振り子運動、つまり、円回帰運動が可能になる。
振り子運動を円回帰運動に変えるには、永遠性が要る。
そのためには、振り子のバネを常に最大のモーメントにしておかなければならない。
振り子のバネを常に最大のモーメントにしておくためには、極限の緊張状態を常に保っておかなければならない。
振り子時計のバネを毎日巻くのは、極限の緊張状態を保つためだ。
我々人類が、最も強き生きものであるためには、緊張のバネを毎日巻いて、極限の緊張状態を保っておかなければならない。
一般大衆には、それは到底無理な話だ。
人間社会から、反社会勢力がなくならないのは、必然性と偶然性の妙の結果なのである。
一般大衆こそ、単なる偶然性の産物に過ぎない。
だから、一般大衆は必然性に憧れる。
だが、それは到底無理な話だ。
必然性には努力という力がいる。
努力という力を発揮することによって必然性を生み出し、必然性が生まれたところにしか偶然性は発揮されない。
緊張のバネを巻く努力という力が必要なのだ。
その場合に限って、必然性と偶然性の妙が発揮されて、永遠の振り子運動、つまり、円回帰運動が可能になる。
人間社会だけに、「支配・被支配二層構造の社会」になった所以がここにある。
人間社会はまだ熟していない。
なぜなら、大半の人類が未だに最も弱き生きもののままだ。
そこには、大いなる進化は見られない。
人類に進化しないで猿のままの人間には、新しい人間になる可能性はない。
モハマッド・ハッサンのような暗殺者こそ「新しい人間」なのだ。