第五十三章  野性と知性

人間の中に何かが宿った。
野性を削ぎ落とす何かが宿った。
それは、知性なのか。
知性と野性はお互いに二律背反性を有しているのであろうか。
そうであるとするなら、知性は最強の武器でもあるが、臆病という最弱の武器にもなる。
最強の武器か、最弱の武器かの分岐点は知性の成熟度に掛かってくる。
成熟していない知性は、臆病さを増幅させる。
成熟した知性は、勇敢さを増幅させる。
人間の中に宿ったのは、未塾な知性だった。
大半の人類が、最も弱き生きもののままの所以は、未塾な知性の為せる業であった。
人類を地上最強の生きものにまで引き上げたのは、成熟した知性の為せる業である。
では、未塾な知性と成熟した知性との違いは単なる程度の違いなのか。
未塾と成熟との間には大きな深淵がある。
それは、オスとメスの間に大きな深淵があるのと同じだ。
人間という同じ種でありながら、オスとメスとの間には、種の違いを超えた大きな深淵がある。
オスの犬とオスの人間の方が、オスの人間とメスの人間よりも理解し合える。
メスの犬とメスの人間の方が、オスの人間とメスの人間よりも理解し合える。
未塾と成熟との間は、程度の差という連なった差ではなく、連なっていない違いがある。
学校での勉強の出来不出来と、人生での出来不出来との間には、連なった差ではなく、連なっていない違いがある。
人間の中に何かが宿った。
野性を削ぎ落とす何かが宿った。
それは、未塾な知性であった。
爾来、人類は蟻地獄に陥り、現在に至っている。
成熟した知性は、未塾な知性から進化しない。
程度の差の問題ではなく、次元の違いの問題だからである。
量を追い求めるのは程度の差の追求だ。
質を追い求めるのは次元の違いの追求だ。
人間の中に何かが宿った。
野性を削ぎ落とす何かが宿った。
それは、未塾な知性であった。