第五十六章  受容性の価値

なぜメスが子供を産むのか。
なぜオスは子供を産まないのか。
地球のみならず、宇宙の命題でもある。
メスは子供を産むことができるからである。
オスは子供を産むことができないからである。
能力の問題なのだ。
メカニズムの問題ではないのだ。
オス社会の歴史だった人類は、この究極の命題をメカニズムの問題として片付けてきた結果、真実を見逃し続けてきた。
メスには子供を産む能力があり、オスには子供を産む能力がなかった本当の理由は受容性の有無にあったことを忘れてしまったからだ。
受容性の大事さを忘れずにいた自然社会は、メス社会を維持している。
受容性とは、一切の出来事を受けいれる能力のことだ。
人生は7年周期のリズムで山谷を繰り返す。
理由はわからない。
理由を問う必要もない。
それが事実なら受け入れるしかない。
受け入れた者は、自分の人生を完結できる。
つまり、死の恐怖から解放された人生を全うできる。
受け入れなかった者は、自分の人生を完結できない。
つまり、死の恐怖から解放されない人生を終える。
自分の人生に如何なる出来事が起こっても受け入れることができるか、できないか。
生きる意味を問うか、問わないかの分岐点がここにある。
自分の人生に如何なる出来事が起こっても受け入れることができるなら、生きる意味を問う必要は一切ない。
自分の人生に如何なる出来事が起こっても受け入れることができないなら、生きる意味を徹底して問うべきである。
“人生は、何も考えずに楽しくやればいい!”
こう嘯く連中に限って、自分の人生に如何なる出来事が起こっても受け入れることができない。
“人生は、何も考えずに楽しくやればいい!”も所詮は愚痴の一種なのだ。
地球で生きている限り、一年は365日であるが、その理由を問うて何の意味があるだろうか。
金星で生きている限り、一年は2日であるが、その理由を問うて何の意味があるだろうか。
火星で生きている限り、一年は670日であるが、その理由を問うて何の意味があるだろうか。
人類が宇宙開発の旅を始めたのは、1961年4月12日だ。
冷戦の真只中にいたソ連が人類として初めて宇宙飛行を成し遂げた。
その日、人類の運命は決定された。
その日、地球の運命は決定された。
問う意味のない問いかけをしたからだ。
意味のある問いかけと、意味のない問いかけの違いを人類は理解していなかった。
いかなる答えを以ってしても、同じ問いかけが残るならその問いかけは意味がない。
なぜ金星の一年は2日であり、なぜ火星の一年は670日であり、なぜ地球の一年は365日であるのか問いかけても意味はない。
金星の一年が3日でも1日でも、同じ問いかけが残る。
火星の一年が700日でも500日でも、同じ問いかけが残る。
地球の一年が400日でも300日でも、同じ問いかけが残る。
地球の一年は365日であるという事実だけを受け入れればいいのだ。
裏を返せば、
人間の人生の答えはそれぞれみんな違う。
だから、自己の人生の問いかけを徹底してするべきだ。
だから、“人生は、何も考えずに楽しくやればいい!”
こう嘯く連中に限って、自分の人生に如何なる出来事が起こっても受け入れることができず、死の恐怖から解放されない人生を終える。
宇宙開発の旅は破滅の旅であることを人類は理解していなかった結果、人類の生みの親である地球まで破滅の道に引き摺り込んだのだ。
人生は7年周期のリズムで山谷を繰り返す。
なぜと問いかけたら、問うた人間の人生は破滅する。
ただ事実として受け入れるだけでいい。