第五十八章  口火

北イエーメンの首都サヌアに着いた村木兵庫とモハマッド・ハッサンは、サムシティーホテルにチェックインした。
サムシティーホテルはサヌア一の老舗ホテルだが、いまだに、宿帳に名前を記入する。
頁を捲るのに一苦労するぐらい大きな宿帳だ。
「偽名で記入するように・・・」
モハマッドが日本語で村木に話した。
英語でもフロント係に聞き取られるからだ。
「アイオア!(OK!)」
村木はアラビア語で答えた。
フロント係は意味も解らず微笑んでいる。
村木が日本語で「堀内孝雄」と記入したのを見たモハマッドは、首を傾げながら訊いてきた。
「何て読むんだ?」
「日本のプロ歌手の名前だ!」
モハマッドは苦笑しながら手を横に振った。
「それはやめておこう!ほら!」
モハマッドがロビーの奥まった所に立っているスーツ姿の三人の男を指さして言った。
「秘密警察の連中に違いない・・・」
黒いスーツにサングラスを掛けて、いかにも、胡散臭い連中だ。
「平凡な名前にしておいた方がいい・・・」
村木は肯いて、「堀内孝雄」と書いた日本字の横に「Junji Kimura」と書き加えた。
「Junji Kimura?」と読んだモハマッドが再び首を傾げた後、「まあ、いいだろう!」と言って笑った。
そして、宿帳を自分の方へ引き寄せて、アラビア語で自分の名前を記入した。
「何て記入したんだい?」
村木の質問にモハマッドは真剣な顔をして言った。
「マンスール・アル・ヒラジだ!」
村木は動揺したが、モハマッドは敢えてそうしたと言う。
「もう敵さんは、俺たちを見つけたようだ・・・」
姿の見えない敵が、すでに、二人を見張っているのだ。
「村木!あんたは素人だから、絶対に手を出してはいけない!」
モハマッドは強い口調で言った、その瞬間、乾いた音が背後からした。
「パン!」
後ろを振り返った二人の前に、目を見張るばかりの美人が立っているではないか。
彼女を見た村木は仰天した。