第六十三章  尊敬と軽蔑の狭間

人だかりの中心で起こっている出来事が村木の脳裏を掠めた。
彼が革命まで生活していたイランは、イスラム教が国教の国だが、イスラム教の開祖マハマッドよりも尊敬されている人物がいた。
その名が、マンスール・アル・ヒラジである。
マンスールという名はアラビア語ではなく、ペルシャ語(ファルシー)であることが象徴している。
イランでは長男に必ずマンスールという名を与えるのも、マンスール・アル・ヒラジが如何に尊敬されているかの証左だ。
彼は、アラーの神は唯一神などではなく、誰の中にもいると悟った。
そして、みんなの前で、『Anal Hak(アナル・ハク)!』と叫んだ。
『我は真理。我は神!』という意味だ。
インドのゴータマ・シッダルタが、『すべての人間の中に神性がある』と悟ったのと同じである。
ところが、イスラム教の教義では、アラーの神だけが唯一の神である。
イスラム教徒は、彼がアラーの神を冒涜したと思った。
イエスは『我は神の子』と言って、『イエスは律法を犯した』と当時の権力者であるパリサイ人律法学者によって十字架に架けられた。
イスラム教徒たちも、アラーの神を冒涜したと怒り、マンスールをイエスのように十字架に架けた。
そしてイエスの磔刑も霞んでしまうばかりの拷問を加えた。
まず十字架に架けたマンスールの両足を切り落した。
それでも、彼は『Anal Hak(アナル・ハク)!』と叫び、歓喜の想いで、笑っていた。
今度は、彼の手を切り落した。
それでも彼は生きていた。そして『Anal Hak(アナル・ハク)!』と依然叫んで笑っていた。
更に、舌を切り取り、目をくり抜いても、彼は生きていた。
そして、心の中で、『Anal Hak(アナル・ハク)!』と叫び、笑っていた。
そして最後に首を切り落された。
イエスの磔刑どころではない、凄まじい拷問を受けても、彼は自身の神を信じて至福の境地にいた。
村木は思い出した。
『そう言えば、イエスは十字架に架けられる前の3年間、インドからの帰路、イエーメンの首都サヌアに寄ったと聞いたことがある・・・』