第六十七章  元祖自爆テロ

村木の父親は太平洋戦争の硫黄島決戦で戦死した。
沖縄上陸作戦を指揮したマッカーサー元帥は、ノルマンディー上陸作戦を指揮したアインゼンハワー元帥に嫉妬していたために、苛烈な攻撃を発令していた。
硫黄島での決戦も歴史が語る事実と大きな齟齬がある。
連合軍総司令官ドワイト・アインゼンハワーがまだ中佐の頃に、彼は陸軍参謀総長ダグラス・マッカーサー大将の下に主任補佐官を務めていたにも拘わらず、フィリッピン政府の軍事顧問として左遷されたと誤解したマッカーサーの失意の中で台頭していく。
1942年6月。
アイゼンハワーはロンドンに司令部を置くヨーロッパ戦域司令官に着任した。
彼はトーチ作戦と名付けられた、モロッコとアルジェリアでの連合軍の上陸作戦を計画し実行したのである。
1942年11月からは、北アフリカで連合軍の陸海空3軍の最高司令官になり、1943年12月にはオーバーロード作戦(ノルマンディー上陸作戦)の計画、実行に責任を負う連合軍最高司令官に指名され、1944年6月6日のD−Day(The longest day)において連合軍すべてを指揮した。
12月20日、陸軍元帥に昇進。
そして、1944年末まで、ヨーロッパ戦線における450万人の連合軍全軍の最高司令官であった。
嘗ては自分の部下であったのに元帥にまで昇進したアインゼンハワーは、戦後のアメリカ大統領候補とまで言われ、現にルーズベルト大統領も次期後継者と名指しするほどであった。
特に後の冷戦の敵であったソ連のゲオルギー・ジューコフ司令官、時にはヨセフ・スターリンとも直接交渉したことがルーズベルト大統領の信頼を獲得した要因であった。
一方、1936年以来積極的に共和党大統領候補としての指名を求めていたマッカーサーは日本占領軍総司令官をもトルーマン大統領によって更迭されるという不運な末路であった。
『そんなことは当然の報いだ!』
村木は父親のことを考えると腸が煮える想いだった。
彼がイランに駐在していた時、アメリカ大使館人質事件が起こった。
当時のアメリカ大統領ジミー・カーターはヘリコプターによる人質救出作戦を実行したが見事に失敗に終わった。
砂漠の中を着陸しようとした米軍グリーンベレー特殊工作部隊は、自爆テロの所為で全滅した。
歴史上初の自爆テロだった。