第七十五章  袋小路

村木は、モハマッド・ハッサンとマンスール・アル・ヒラジの関係をはじめて知った。
「モハマッド、それなら、アラファト議長とアンマンで会うのは極めて危険だよ!」
村木の言っている意味がモハマッドには理解できなかった。
イスラム教の敬虔な信者なら、村木の言っていることは簡単に理解できるのだが、モハマッドは本音のところではアラーの神など信じていなかった。
イスラム教にはスンニー派とシーア派という二つの宗派があって、イスラム教のメッカ、つまり、メッカのある国、サウジアラビアを中心にしたアラビア半島諸国はみんなスンニー派だが、イラン、イラクはシーア派なのである。
アラファト議長が拠点とするヨルダンはスンニー派だ。
マンスール・アル・ヒラジはシーア派の高僧であるムラーだ。
シーア派のムラーであるマンスール・アル・ヒラジと関係の深いモハマッドは、アラファト議長にとって敵の味方、つまり、敵だ。
スンニー派とシーア派の分裂はキリスト教のカトリックとプロテスタントの軋轢と似ている。
イスラム教の開祖・ムハンマド死後もイスラム共同体の勢力拡大は留まることは無く、四代の正統カリフの指導のもとイスラム帝国と呼びうる大帝国へと成長していった。
結果、ムハンマドの後継者のリーダーシップの下、イスラム教は急速に拡大し、現在に至るイスラム勢力範囲の確立にも繋がった。
イスラム教勢力が改宗の他にも、軍事的征服で拡大していったことが最も大きな要因とされる。
しかし、拡大とともに内紛も生じ、三代カリフの死後、四代以降の座を巡って、ムハンマドの従兄弟アリとその子孫のみがイスラム共同体を指導する資格があると主張するシーア派(「アリの党派(シーア・アリ)」の意)と、それ以外のスンニー派(「ムハンマド以来の慣習(スンニー)に従う者」の意)へと、イスラム共同体は大きく分裂した。
結局、イスラム帝国はウマイヤ家のムアウィーアがカリフ位を世襲して支配する。
これに対して、政治的少数派となったシーア派は次第に分派を繰り返していき、勢力を狭めた。
「アンマンに行くのは止めよう!」
村木は強く主張したが、こと既に遅かった。
紅海を渡ってエチオピアの首都アジスアベバに着いた二人を、アラファト議長のオルグが待ち受けていた。
村木自身も革命後のホメイニ体制のイランにもいただけに、親シーア派と見做されているかもしれない。
「モハマッド!スーダンのハルツームからナイル川を下って、カイロに抜けよう!」
焦る表情の村木を見て、モハマッド・ハッサンは考え込んでしまったが、その間にも、二人の行く手はどんどん狭くなって、袋小路に嵌っていった。