人類の朝焼け

おおきな、おおきな 骨の棒を振りかざし 二本足の獣が闊歩する

洞穴の中で たがいに抱き合って 夜の恐怖に震えていたのが、まるで

嘘のように雄雄しく闊歩する

朝がやって来るとほっとする、朝焼けが命の調べ

朝焼けが光を生むことを知った朝、手弱い獣が雄雄しく胸をはる

その獣の両手から、おおきな、おおきな 骨の棒が朝焼けの空に

放り投げられる

世界でもっとも凶暴な獣の誕生を祝福するかのように朝焼けが世界を

照らしだす

朝焼けに慄く四本足の獣が手弱く洞穴に駆けこんで昼の明かりに震え

ながら 夜を待つ

だけど 二本足の獣はもう夜を恐れない

そのとき世界は夕焼けの死のプロローグ

あれから どれだけの時間が経っただろう

いまや 夕焼けの死のエピローグ



時空の世界に生きる

時空の世界とは

我々が生活をしている地球、その他の太陽系惑星、それを含む銀河系星雲を一つの宇宙ととらえ、それらと同じような星雲がまた無数に広がる宇宙は百五十億光年の大きさといわれており、現在もその大きさは膨張し続けています。
この四次元、すなわち、空間という三次元に時間を加えた宇宙世界を時空(TIME &SPACE)の世界といわれています。
一般的には、空間(立体)が我々の住む世界といわれていますが、なぜそこに時間が入るのでしょうか。時間は絶対的なもので三次元の立体である我々は時間の中に閉じ込められています。
人間をふくめて森羅万象すべての物体には、その物体の中に魂が宿っています。
死ぬことを、息をひきとると言います。生きている証しは息をしていることです。息をしていると思考が働き、死ぬと思考が働かないのは息をしていないからです。すなわち、考えるということは、息をしていることと同じことであるのです。
そこで一度息をとめてみるとどういう変化がおきるか観察して見ましょう。最初のうちは肺に息が残っているのでまだ思考が働いていますが、だんだん息がきれてきて苦しく感じてきますがそれでもまだ思考は働いています。もうだめだ、苦しい、これ以上息をしないと死んでしまうというところまでいくと、突然思考が止まることに気がついたことがありませんか。思考は止まったが、まだ生きている、正に死ぬ一歩手前の状態を経験したことがありませんか。思考は止まった、だけど生きていることは間違いない、その時いつもと違う自分を感じるはずです。思考していない自分を感じる。普段は、あなたは考えているのが自分だと思っています。ところが考えていないところにも自分がいることを知る。この二人の自分は一体どこが違うのでしょうか。
考えている自分はいつも過ぎ去った過去の世界か、これからやってくる未来の世界で生きています。考えるということ自体が過去のことか、未来のことしか対象になり得ないのだから当然といえば当然です。現在、この瞬間を考えることは出来ません。考えた時点でそれは過去か未来になっているのです。時間とは過去と未来しかない、現在という時間はないということに気がついたことはあるでしょうか。時間とは移動することであり、瞬間とは立ち止まっていることです。したがって息を止めると、この現在瞬間に立ち止まることが出来るのです。そのときはじめて時間の閉じ込めから解放され、考える自分がいなくなったのに、意識があることに気づくのです。その状態が時空の世界に生きている状態なのです。NOW & HERE (今ここ)には三次元に生きる自分はいないのです。NOW &HEREではなくNOWHEREなのです。
そこに本当の不滅の自分がいる、肉体が消えてもいる自分がある。、それを魂というのです。
だから、死んで魂が残るのではなく、肉体が生きていても魂は歴然とあることに気づくことが大切なのです。
息をしていることに意識を集中すると、息を吸って、吐く、この合間では息をしていません。そのことを分かる自分が本当の自分なのです。

宇宙と自分

普段の自分と本当の自分とがあるということが分かりました。
普段の自分は肉体の中に閉じ込められていることも分かりました。本当の自分は時空の世界、すなわち宇宙と共にあるのです。肉体が生きているときは息が本当の自分と時空の世界(これからは宇宙と呼ぶ)のブリッジになっています。肉体が死ぬと本当の自分は宇宙に帰り宇宙全体と一体となります。川の水が海に流れこんで大海と一体となるのと同じです。これが一体な状態ということです。しかし、肉体が外から燃料(食べ物)の供給を受けて生きているときは、普段の自分(思考する自分)と本当の自分との間も息によって遮断され、本当の自分と宇宙との間も息によって遮断されている、無意識に息をしていると、吸う息と吐く息との合間に気づかないためそこに思考が入りこみ本当の自分を遮断してしまう、必然、本当の自分が意識できないのだから、宇宙とも遮断されてしまいます。
遮断とは、一体ではないということ、部分でしかない。そうするとその隙間にどんどんと、とりとめの無い思考が入り込み、とりとめの無い思考の数だけの自分がそこにいる。
ほんの少しの晴れ間のある空に雲が容赦なくは入り込み雲いっぱいに埋めてしまうように。
自分自身、何を本当に考えているのか分からない。あっちこっち、よそよそしい目でそれぞれを見ているいっぱいの自分がいる。そのときは淋しい気持ちになる、ただ、たくさんの人がいても、お互い知らなければ、余計淋しくなる。パーテイーで誰も知合いがいなくて、ぽつんと一人いるときは、家で独りでいるよりも余計淋しい。孤独という意味はこの状態のことをいいます。
一体でいるということは、独り の状態にいるということです。複数の自分はいない、ただ本当の自分が存在して、それが宇宙と一体になっている。すべてが一体ということと独りということは実は同じ意味なのです。
息をすること一つとっても、こんなに違う、ほとんどの人は無意識に息をしている。
ほんの少し、意識をするだけで息は沢山の真理を教えてくれるのです。
普段、人が考えているのは全くといっていいほど無意識に考えています。もう少し、考えることが絞られてくると少し意識的になります。集中しているときは、もっと意識的になります。一体な状態にいると、宇宙との一体感を味わうことができます。これが人間の究極の悦びだと早く気づくことです。
息をする時も、よく見つめて、意識しているとこんなすばらしい体験が出来る。
歩く時も、食べている時も、寝ているときも、意識して、することが大切です。
その中でも息は宇宙と自分との架け橋だけに、余計意識して、することが大切です。
息は宇宙からのエネルギーをはこぶ乗り物です。乗り物に気がつかずに乗り物の中のエネルギーをもらっているのです。
誰からもらったか分からないプレゼントはあまり悦びを感じないでしょう。どんな高価な贈り物でも誰からもらったか分からなければ悦びも少ないでしょう。
息という素晴らしい贈り物を宇宙から間断なく、もらっていることに、意識して感謝することです。