不安

生きるとは 危険なジャングルの中に放り出されること

死ぬということは ジャングルから広大なサバンナに抜け出すこと

生まれて そして死ぬというくり返しは 夜のジャングルから 朝のサバンナへの行き帰り

それが本当の生きるということ

だけど あなたは 人間が勝手につくった檻の中にいる

檻はジャングルにもサバンナにも もともとないもの

なにかまわりの景色と合わない不自然なもの

その中に入って 生きている

鉄の格子でできている檻は丸見えのもの

その中からジャングルで起きている景色を見ていると

ますます檻から出るのが恐くなる

それが 檻の中で生きるものの愚かな宿命

不安という 目に見えない 檻の中だけにある幻想

檻から出れば 無限の広がり

すべては あなた次第の 無限の自由

だけど あなたは 檻の中から出ようとしない

不安だらけの檻の中で ただ震えるだけ

不安に対してあなたは何もできない

危険に対してあなたは何かできる 勇気さえあれば

不安を選ぶか 危険を選ぶか それは あなた次第



あなたもビッグバン

宇宙はパチンコボールよりもはるかに小さくて太陽の何万倍もの質量を持つ粒子が大爆発を起して膨張し始めて150億年経った今も膨張し続けていると言われています。
あなたの体もセンターがあって、その周辺がある。
普段あなたは、その周辺のものを自分と思っています。
その周辺は常に膨張している動きであって、実在するものではない。
過程であって実体ではない。
中心が実体です。実在するものです。
今宇宙が150億年の拡がりのプロセスだと言いました、ということは150憶年のところに壁という境界があるということです。そこで膨張が止まるならその境界が障害になっているからです。宇宙には障害がないから、永遠に膨張し続ける。(しかし、近年、素粒子の中で最も微少だと言われていたクォークよりもまだ小さいニュートロンという素粒子が発見され、しかも質量を持つことが証明されました。そうするとビッグバンによる永遠に膨張する150億年のわたしたちの宇宙が収縮することもあるという可能性が出てきました。これは宇宙科学だけの話ではなく宗教の世界をも根本からひっくり返えすことにもなります。すなわち神が悪魔になり、悪魔が神になる可能性がある。ある意味では、この考え方の方が理にかなっています)
あなたの中は考える心という障害が境界をつくってあなたも永遠に膨張し続けることが出来るのを妨げている。
そして考える心という障害そのものを自分だと思い込んでいる。
これが人間の最大の不幸です。
自分自身が無限の可能性の障害になっている正体だと自分自身知っている。これほどの不幸があるでしょうか。
あなたが憎む仇をあなただと思っている。これは大いなる矛盾です。
あなたの仇は誰を殺して、あなたの仇と思っているのですか。
あなたの親を殺してですか。
あなたがあなたの親を殺した。あなたは親の仇打ちをしなければならない。
ですがその仇はあなたです。
あなたは仇であって、仇打ちをする者でもある。ひとり芝居です。
芝居なら、終われば舞台には誰もいなくなる。演ずるものも、そして観衆も。
ですがあなたは芝居ではなく現実に生きている。
これは悲惨です。あなたはそれすら気がついていないで日々生きている。
それは、あなたが常に実体のない周辺というプロセスである考える心を自分と思っているからです。
そして動きである考える心は出来るだけ狭い場所を好む。すぐに境界をつくりたがる。
これも矛盾です。考える心自体が動きであるのに変化を嫌う。
膨張を極端に嫌う。せまい檻の中を好む。安全だからです。狭いところなら常に見渡せることが出来る。目がすべてのところまで届く。だから安全だという訳です。
ところがそう思っている考える心そのものが常に変化しているのです。
変化するのが本質であるものが変化を嫌う。
仇と、仇打ちするものが二役をしているのと同じ矛盾をあなたは日々やって生きている。
生きるということそのものが危険だという真理を理解していないからです。
ニーチェが「ツアラストラがかく語りき」で「危険に生きなさい」と言ったのは真理です。
危険が嫌で生きるということは出来ません。それなら死しかありません。
生きること自体が危険です。
動物は、ペットとして人間に飼われているもの以外、常に危険にさらされている。
危険を避け、安全を求めるなら、一番安全なところがある。牢獄です。牢獄にいればあなたを傷つけにくるものもいないし、食べものは与えてくれるし、これほど安全なところはない。そのかわり自由がない。
だがあなたは安全も欲しいが自由も欲しい。これは不可能です。
自由が欲しければ、危険を恐がらないこと。
危険が恐いなら、奴隷で甘んじること。
どちらを選ぶのもあなたの自由です。
ですが自然、宇宙の真理は膨張することです。すなわち自由を選び、危険を恐がらないことです。動物には選択肢がない。
周辺を限りなく膨張させることでビッグバンと同じように境界という考える心を消す。
自分の内を見つめ、限りなく四方に拡がって行くと、近くにあるものも、遠くにあるものも区分けがつかなくなる。遠近感覚がなくなる。そのとき境界は消え考える心も消える。