心の旅

人生は心の旅

独りで行く 心の旅

たとえ そばに 誰かがいても

独りの旅

独りで生まれ 独りで死ぬ

その旅は 行って 帰ってくる旅

どこかへ 行ってしまう旅ではない

必ず 旅立つたところに 戻ってくる旅

それだけに たしかな 案内書が要る

必ず 旅の途中で 思ってもいなかったことがある

そのとき あなたは 独り

そのとき あなたを 支えてくれるもの

それは 案内書



禅の十牛図

ひとりの禅僧が牛を求めて心の旅をする。
牛はインドでは神の象徴です。日本でも牛を神の象徴とみている宗教が多い。
神の探索の旅です。最初は牛と出会うことすら出来ない。途中でちらっと見る。
だがまた見失う。そしてまた見つけ今度は自分のものに出来る。そういうことを何度か繰り返す。思考錯誤です。そして旅の終わりにさしかかる。すなわち死です。そして分かる。その最後の十番目の図が円です。
円は何を意味しているか分かりますか。円は360度です。元に戻るということです。
ですがその過程で180度のところを通過しなければ元のところには戻れない。
180度のところは始めのところ、そして最後に行き着くところと正反対のところです。
釈迦が何年もかかって苦行をしても悟りを得られず、最後に菩提樹の下で悟りを得たときに辿りついた地点が円のはじめに戻った点です。
結局何も外的なものは変わっていない。しかし円を一周した経験を得た。ですから同じ点に立っても最初立ったときと違っている。新しい(元々の)自分を再発見した。
だが円を一周した人と一周せずに同じところに立ったままの人とは完全に違う。
努力をして努力の無価値を知って努力の成果として元のところに立ち帰る。
努力の成果が元の場所の再発見です。
努力の無価値を知るのが180度向こうの通過地点です。
正と負、善と悪、男と女・・・・・・・すべてあちらとこちら正反対というものがなくては円は完結しない。
正反対が真理の原理原則です。そこには理屈は無力です。
理屈、理論はレシプロ運動です。直線運動です。
真理は円運動です。矛盾が真理です。
これから説明する四つの方法はこの正反対の真理を理解しないと無理です。
まず一番目のものはイマジネーションの力を使った方法です。
静かな、だれにも邪魔されない場所ですわって目を閉じて、あなたの内にも外にも精神力というエネルギーが充満している感じを持つ。そうするとあなたの体が震える。武者ぶるいです。武者ぶるいがおきたら、イマジネーションが機能したという証拠です。そうすると、あなたの体だけではなく、全宇宙が振るえはじめ精神世界に融合していくフィーリングを徐々に持ちはじめる。そうしてすべてが物質ではなく精神的なものにと変化していき、物質という幻想は消えていく。
最近の物理学者が物質は幻想であり、エネルギーが実体である、あなたが見る固定した物質というのは単なる投影であって実体ではない。遍在するエネルギーだけが実体だと言っています。それが神です。神は人間の形をしたものではない。無限な、遍在するエネルギーのことです。
それを体感するのがこの方法です。
次の方法は、
あなたが何か欲望が起きたとき、それを抑えようとせず、その欲望を全意識を集中して見つめてみること、そうするとその欲望があなたに見つめられていることで消えていく、見つめるということはエネルギーを吸いとるということです。
見つめるあなたがそこにいるかどうかです、問題は。
次の方法は、
あなたが、五感で感じることには限界がある、境界がある。だが見つめることによってあなたは覚醒状態になり、境界が消えてなくなる。
第六感というのがこれです。インスピレーションといってもよい。
インスピレーションは時空の世界を超える。見るという行為と見られているものの間に見ているあなたがいる。それが見つめるフィールドで時空の世界すなわち四次元の世界を超える。考える心は四次元世界までしかおれない。それを超えると考える心は取り残されて、純粋意識だけが進むことが出来る。
五感を超えるにはただ見つめること。
次の方法は、
時空の世界を超えた純粋意識になると境界や区分けはなくなる。そこにはあなたをも含めた区分けができない遍在するものだけが残る。それがあなたの実在です。
四つの方法はすべてイマジネーションの創造力を使った方法です。
想像力は創造力になる。
瞑想の種類は、体を駆使したものと、想像力を利用したものと大きく分けてふたつです。
前にも言いましたが体を駆使する方法は強烈な意志力が要ります。そうでないと途中で止めたらかえって危険です。
想像力を使った方法は自分ひとりで出来るし、いつでも、途中で止めてもいい。
だが時間を無駄にはする。
成果はハイリスク・ハイリターンかローリスク・ローリターンです。
チョイスはあなた次第です。