ニタッ

楽しい一日を始めよう

口を横に伸ばし ニタッとする

これで 楽しい一日のプログラムの開始

電車で横にいる人にも ニタッ

会社に着いたら ニタッ

いやな 上司にも ニタッ

変なおっさんにも ニタッ

嫌みな女にも ニタッ

家に帰ったら まず ニタッ

食事の間も ニタッ

一日の終わりの 寝床で 最後の ニタッ

夢の中でも ニタッ

朝 目が覚めたら 何もしないのに

あなたの口は勝手に横に伸び ニタッ

これが ほんとうの 楽しい 人生



喜怒哀楽

あなたは、ある人を怒って憎んだりしたときどうするでしょう。
また、ある人を好きになったり、愛しく思ったりしたらどうするでしょう。
ふつう、そんなときあなたはその喜怒哀楽の中に自分自信を埋没させて自分を完全に忘れてしまっていて意識はその対象の"ある人"だけになります。その感情を投影したスクリーンだけである"ある人"だけで、その感情の源泉である自分のことを完全に忘れてしまいます。
もしも、わたしがあなたのことを好きになったとしましょう。ふつうは、そんなとき"あなた"がわたしの"好き"の源泉だと思いこんでいます。
もしも、わたしが、ある人を"彼はわたしを裏切った卑劣な男だ、許せない"と怒って憎んだとしましょう。ふつうは、そんなとき彼がその原因をつくったのだ、だからこの怒り、憎しみの源泉は彼にあると思ってしまいます。しかし実際はそうではないのです。わたしがその源泉なのです。わたしの怒り、憎しみという感情をわたしのスクリーンに彼の姿を通して投影しているだけでそれで彼がその原因だとしているだけなのです。
わたしの怒り、憎しみのエネルギーを彼自信の投影を通して、彼に対する怒り、憎しみに変えてしまっているのです。
たとえば、わたしが、ある女性のことを好きになった、なぜ好きになったのか、それは彼女の顔が美しいと思ったから、彼女のプロポーシヨンが素晴らしいと思ったから?
だが、他の人から見たら、彼女の顔は醜いと思うかもしれない、彼女のプロポーシヨンはガリガリのやせっぽちだと思うかも知れない。現に、わたしが以前行ったエジプトでは、肥った、おしりが大きければ大きい女性ほど魅力的なのです。それならアメリカにいけばみんな魅力的な女性ばっかりです。アメリカでは、肥っているのが常識です。だがそれは異常だと思って、なんとか痩せようと努力している。(これは理解しておかなければならない大事な真理の一つですが、人間は努力しようと思って、しなかったら、事態は努力しようと思ったとき以上に悪くなる。それなら努力しようと思わずに放っておくほうがましです)
美しいプロポーシヨンが良いというわたしの想いのエネルギーが彼女に投影し、彼女を好きになったと自分で思っているだけなのです。彼女は何もしていない。
ハネムーンに出かけた新婚夫婦が、夜、満月の月を見たら、なんと美しい月だろうと思う。だがその隣で自分の肉親が死んだ夫婦にとっては、その同じ満月がなんと、哀しい、恨めしい月だと思うだろう。だが月は何もしていない。
逆に月は、また、美しい彼女は、また憎い彼は、あなたの中の喜怒哀楽の感情の存在を浮きぼりにさせ、あなたにその存在を教える助けをしているのだから感謝すべきです。
すべて喜怒哀楽の感情の源泉は自分自身にある。その周りのものはあなたが気づくよう手助けをしてくれているだけなのです。
わたしは一昨日の夜、ある人がわたしを裏切ったと思って怒り、憎しみのエネルギーの熱で一睡も出来なかった。なんとか復讐をする手だてはないかという思いで眠ることが出来なかった。だがその熱いエネルギーを、静かで、深い海底のような冷たい自分の根に送りこむ術を学んでいたので、自分の中にある怒りが源泉で、その"ある人"は別に何もしていないのだと気づいたら、いままでの自分の自分たる所以のところに、大きな"怒り"があるが、"憎しみ"は無いことを認識したその瞬間"怒り"が消え去って行ったような感じがした。胸の痞えがとれて軽い気持ちになった、そしてその裏切った人に感謝の気持ちが湧いた、これは正に奇跡だった。