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死ぬときもユーモア 江戸時代に十返舎一九 という浄瑠璃作家がいた 彼は 66才で死ぬ前に 遺言を残した 死んだときの 服装のままで 火葬をすること 遺族は それを 遵守した 棺桶に 火をかけた すると 急に パン パン という音がして 棺桶の中から 花火が 爆発した みんな 驚いて 腰を抜かした それを あの世で見ていた 一九が 笑った やった やった と 死との直面 釈迦が生まれた時、母親が死ぬその間際に、父である国王の祭司から、この生まれた子は将来、人々を救済する偉大な人になります。と言われた。 父である国王は、ではこの子は、自分の後を継いで国王にはならないのか、と祭司に聞くと、それは、この子に死というものを知らしめないことです、もしこの子が死というものを知ったら、この子はこの王国から去るでしょう。だから、人が死んだところを、この子に絶対にお見せしないように、と答えた。 その後、釈迦が二十八歳になるまで、国王は家来に絶対に人の死の場を見せないよう命じていた。釈迦は美しい妻を娶り、プリンスとして人間としての欲望のすべてを満喫する人生をおくっていた。 ところがある日、死人をのせた馬車が彼の前を通って行ったとき、御者にこの人は一体どうしたのだ、と聞いたら、御者はこの人は死んだのです、と答えた。これが釈迦の生まれてはじめての死との出会いだった。そして釈迦はその御者に、誰でもいつかは死ぬのか? わたしもそうなのか?と聞いた。御者は嘘をつけずそうです、と答えた。 そのとき、釈迦は御者に向かって、もしだれでも死ぬなら、一体生きるということになんの意味があるのか。この疑問が解けない限り、わたしは不安で落着かない。いままでのことはまったく無意味なことをしていた。この疑問を解くため、今の生活を一切捨て、その解答を探しに行く。と言って誰にも告げずに自分の王国から立ち去った。 動物はそのときの釈迦と同じで死という概念を持っていません。だから生きているという意識も持っていません。 人間は死という概念を5―10才ぐらいから持ちはじめる。記憶が5才ぐらいから蓄積されはじめ、それまで感性で生きてきたのが、だんだん知性(頭脳)で生きるほうにシフトされていく。頭脳に蓄積された記憶を思いだす(引き出す)能力が出来てくるととともに、死という出来事の記憶が何度か引き出されて、人間は誰でも死ぬものだということを知るのが5―10才のころです。だから、どんな子どもでも必ずこの年頃に、死に対する恐怖に悩まされる経験をする。しかし、その後、同じ思いを繰り返していくとだんだん鈍感になっていく。そしていつか死に対する恐怖は潜在意識のほうに沈んでいき、普段の意識から消えていく。ここが釈迦と凡人との違いです。 凡人は現実にすぐ妥協してしまうことで真理に鈍感になってしまう。だが真理に鈍感になるということは、自由を放棄したことだということを分かっていない。釈迦はいくら、この世的煩悩、欲望の世界に埋没していても、精神の鋭敏さだけは失っていなかった。 人間にとって、一番大事なものは自由です。自由を得るには真理を知らなければならない。真理を知るには精神を常に鋭敏にしておかなければならない。精神を常に鋭敏にしておくためには、一番の恐怖の源泉である死と直面していければならない。死と常に直面出来るためには勇気が必要です。結局のところ凡人ということの定義は勇気を発露出来ない人のことを言います。口先では立派なことを言う人はたくさんいる。だけどその殆どは勇気を発露出来ない。ちょっと、試してみたらすぐに、その人の言っていることが偽ものだということがわかります。その立派な口言を実行してもらうよう頼んでみる。 "今は、時期がよくない、よい時期を見てやる"と必ず言う。その人たちにとって"今"は未来永劫の時間と思っている、しかしよい時期など永遠にやってこない。今、ここ、しかない。だから、ちょっと試してみるとすぐ分かる。すぐ実行する人は勇気のある人、先送りする人は勇気のない人だということが。勇気のない人に真理は見えません。だから為すべきことも分かるはずがない。成し遂げられるはずがない。 勇気のある人を、この世ではアブノーマルと言うようです。 ある哲学者がこう言った「ノーマルが健康なのだ。だからアインシユタインやゴッホは病気だと。天才はアブノーマルだ、ただ狂人と違うのは人に危害を加えないだけだ」 そうすると、狂気の、病気の、アブノーマルな人が世界の進歩に、世界の平和に貢献していていて、一方ノーマルな人が戦争して、原爆を落として大量殺戮をして、法律に触れない狡猾さで弱いものから搾取している、ということになります。 だから、西欧社会が世界を支配している。日本も西欧社会に迎合している、亜・西欧社会です。 選択は二つある。ノーマルに生きるか、アブノーマルに生きるか。 アブノーマルは別の言い方をすれば、個性があるということ、だから自由なのです。 もしあなたが、一時間以内に死ぬと知ったら、その一時間、あなたは何をしますか。 それまで、あなたは家を買う計画をしていた、車を買う計画をしていた、誰かと結婚する計画をしていた、誰かと離婚する計画をしていた。さあ、あと一時間。死と直面して、すべての計画は台無しだ。その一時間あなたは何を考える?その考えるあなたはいつものあなたとはあきらかに違う。それが本当のあなたの発見です。自分を偉い、立派だ、賢い、物事を良くわかっていると心のなかで思っているなら、あなたは死と直面したとき地獄を見ることになります。 |