人間の優しさ

動物には優しさはない

動物にあるのは本能にもとづいた機械的動作だけ

自然と融合するということは機械の一部品になること

だから動物には心はない、あるのは反射神経的に反作用するだけ

犬が人間になつくのは、人間が犬に与えた優しさに機械的に反作用するだけ

犬が人間に噛み付くのは、人間が犬に与えた憎しみに機械的に反作用するだけ

自然と融合しているものはすべて機械の一部品として機能するだけ

部品がそれぞれ勝手な動きをしたら機械は壊れてしまう、自然は壊れてしまう

人間も本来、自然の一部品 その一部品が勝手な動きをしている

機械は壊れるわけにはいかないから、勝手に動く部品を取り替える

そのとき人類は自然と別離して孤独な人間になった

その孤独が優しさを人間に与えた

何でもすべてが悪いものはない

だって人間だけにある優しさは、人と人の間を潤す潤滑油

だから人間だ



滅私

釈迦の教えは高い知的レベルがないと理解出来ません。釈迦は決して神の存在を証明するようなことはしませんでした。あくまで理論的、科学的に洞察した結果を教えました。
一方、イエスやモハマッドは神の存在を強調している。その違いは何故でしょうか。
イエスやモハマッドはまったくといっていいほど、教育を受けていない、貧しい環境に育ちました。だから彼らの教えの対象は無教育の貧しい人たちだったのです。
インドの釈迦は王国のプリンスでした。高い教育を受け、裕福な環境で育ちました。
現代とはまったく逆さまです。当時は東洋が物質文明としても西洋より豊かだったから唯物的思想より唯心的思想のほうが重要だったのです。西欧は全体的には貧しい地域で、またそこから現れた、イエスやモハマッドも貧しい層の中で育ったから、まずは生きることが、第一だった。だから教えの対象も貧しい、無教育の層の人たちだったのです。
だから、死との直面 で説明したことは、知的に理解されたことを、知的に凍結することによって自己発見する釈迦の方法だったのに対し、ここでは、まったく正反対で感性・直感で理解するイエスの方法です。
だから、まずあなたが人を愛することが出来るタイプかどうかが鍵になります。
あなたは、思考するタイプか、それとも感じるタイプか。
一般的には、男性が思考するタイプが多く、女性が感じるタイプが多い。
だが、男性タイプと男性とは違うし、女性タイプと女性とも違います。
男性と女性との性交によって新しい生命が生まれるのだから、当然生まれた子が男性であろうが、女性であろうが、両方の質を受けているのだから、100%男性的な男性もいないし、100%女性的な女性もいない。女性的な男性もいるし、男性的な女性もいる。
一般的には、知的なタイプは男性的なタイプで、直感タイプは女性的なタイプです。
この滅私による自己発見の方法は女性的なタイプに適したやり方です。
そして、この方法を実践する前にまず愛するということの意味をよく理解することです。あなたが誰かに恋をすると、恋に落ちるという(Falling in love)。なぜ落ちるのか。
頭(頭脳、思考)が落ちるということです。言葉は知的、論理的です。だから思考がなくなるということは、狂気沙汰になるということです。だから落ちるという表現を使う。そして恋に落ちた人は、相手とのはなし方に変化がおきる。母親に甘える子供のような喋り方になる。それは、人が生を受けて最初に恋に落ちる相手が必ずまず母親だからです。だから生まれた子どもをすぐ母親から切り離して育てると、その子は人を好きになれなくなってしまう。動物すべてがそうです。愛のことばはみな甘え言葉です。それが恋に落ちると最初に表われる兆候です。
次の兆候はだんだん沈黙になっていく。すなわちボデイ・ランゲージになっていくため、目とか肌のコミニユケーシヨンで十分通じるようになる。
逆に初対面どうしの人たちは一般的によく喋る。それは一種の積極的防衛をしているにほかならない。臆病なひとは黙る、殻をつくってその中で貝のように自己を守る。愛する相手には無防備でもいい、愛する相手には防衛意識は働かない。それでないとあなたは相手の前で裸になれない。裸になるということは無防備になるということ。愛する相手と服を着てあなたはセックスをできますか。レープする男が真っ裸になってレープしますか。ことが終わったらすぐ逃亡しなければならないのに。
これらのことについての深い理解があってはじめて、あなたは滅私できる段階に入れる。
愛のあとには二つの可能性がある。ひとつはセックスに浸るだけの肉体関係だけの状態。もうひとつは、精神の世界まで上げる滅私の状態。
セックスの深い溝と滅私という無限の開けた空とのあいだにある深淵な状態のことを愛というのです。
セックスの深い溝におちた愛はお互い相手を奴隷にしてしまう。
滅私という無限の開けた空になった愛はお互いに自由を獲得できる。
だから、愛の段階では自由もまだ完全ではない。だが滅私の状態になると完全に自由になる。
ビジネスはGive and Take 。愛はGive、Give、Give and Take。滅私はOnly Give。
世界を変貌させ得る、唯一の方法は自分のすべてを凍結させ、Only Give、ただただ滅私しかないのです。