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息 死ぬことを 息をひきとるという 生まれたとき おぎゃーとまず息をする 間断なく日夜 息は休みなく 続けられる だけど あなたは そのことに気づかない そして ほかのことに 日夜気をつかっている それでも 息は 気も悪くせず あなたに与え続けている あなたが 何かに困ったとき 助けてくれる人がいた お金に困って 助けてくれた人がいた 病気になって 助けてくれた 医者がいた ヤクザにからまれて 助けてくれた人がいた その度に あなたは命の恩人だと 連発する それなのに最大の恩人である息には 何も言わない それでも 息は あなたに与え続ける それが 本当の愛であり それに応えるのが本当の感謝である 息 息を止めると、思考が止まると言いましたが、思考を止めるということに何の意味があるのでしょうか。 人が生きていて、楽しいことばかりなら、神も要らないし、人の情も要らないし、愛する人も要りません。 神頼みして、そのとおりにならなかったら、人は神をも怨むでしょう。 人の情にすがって、与えられなかったら、その人を怨むでしょう。 人を愛して、裏切られたら、その人を憎むでしょう。 すべては、自分の欲望が原因なのです。相手の人は、自分の欲望を映す鏡になっているだけです。 実はその欲望が考えることから発生するのです。欲して、手に入ったら幸せだ、一時的だが。手に入らなかったら不幸せだ、これも一時的だ。 こうして、人は一生おなじことを繰り返します。欲望は麻薬と同じで中毒になります。だから、なかなかそこから抜け出すことは難しい、抜け出すためには、思考を止めるしかない。 だけどこの世で思考を止めて生きることは、ジヤングルの中を裸で歩くぐらい危険なものです。 だが、少しでいいから考えることをやめたら、なにかとてつもない偉大なものに守られているような感じを持つことができます。 だけどまた考えるから、夢見たことをすぐ忘れるように、偉大な存在を忘れてしまう。人はこのような一瞥をしょっちゅう経験している。だけどほんのちょっとの間だけ。 だから、継続した思考の中止が必要になってきます。 息をとめ、思考が止まると、息が宇宙からのエネルギーを運んできてくれていることに気がつく。息が運ぶエネルギーは自分を生かしてくれている生命エネルギーであり、それがなければ、自分は存在しないことを発見する。いくらカロリーの多いものを食べても、生命エネルギーがないと自分は存在できない。その生命エネルギーを感じ、発見するために思考を止めるのです。 まず、息を意識することからはじめましょう。息が口から肺に入り、もっと下のほうへと入っていく動きをまず意識してみましょう。それが出来たら、いよいよ吸う息と吐く息との合間を意識してみましょう。これが出来るようになるには、かなりの時間、継続するトレーニングが必要です。吸っているとき、また吐いているとき、息は動いている。だから息を肌で感じることは難しい。だけど、その合間のとき息は止まっているから捕まえやすい。 勿論、思考をとめて捕まえるのだから普段の考えているのが自分だと思っている人には出来ない。息をとめ、思考が止まっても、そこにいる自分なら捕まえることが出来る。 さあ、捕まえることが出来た、その瞬間、息という乗り物に運ばれてきた生命エネルギーが自分の前に現れる。そのときあなたは本当の自分を発見できるのです。 |