一期一会

朝 起きると あなたは ひとり

夜 眠るとき あなたは ひとり

そのときだけが ひとり のとき

起きているときも 眠っているときも

あなたのそばに誰かいる

もちろん 起きているといっても 幻の中

もちろん 眠っているといっても 夢の中

そばにいる誰かは 昨日もいた人

そばにいる誰かは 明日もいる人

だから 見ていて 見ていない

百期百会 千期千会 だから

朝 起きたとき 会う人は 一期一会

夜 眠るとき 会う人は 一期一会

いつも 新鮮な気持ちで 出会う

いつも 新鮮な気持ちで 別れる



あなたは何も見ていない

あなたはいつも何かを見ていると思っているが、実は何も見ていないということに気がついたことがあるでしょうか。
いつも、家に帰ると奥さんが待っている、家族が待っている。家に入ると彼等と顔を合わす。当然あなたの目が彼等を見ている。だけど本当に見ていますか。あなたの奥さんとはじめて出逢ったときと同じフィーリングで見ていますか。あなたの子供が生まれて、はじめて病院で見たときの新鮮な気持ちで見ていますか。
街で美しい人を見たときと同じ気持ちで奥さんを見ていますか。その美しい人が誰かの奥さんだからといって、自分の奥さんと同じ見方になっていますか。誰かの奥さんであっても、はじめて見て美しいと思ったときは、心がときめくはずです。新鮮な気持ちになる。
なぜ、違うのでしょう。
あなたが意識せずに外のものを見ているときの目は過去か未来の目だということ。非常に微妙ですが、目が動くということは思考しているということ、そして思考しているということは過去か未来という時間の中にいるということです。
美しいと思うのは、厳密に言えば思うのではなく、ハートで感じているのです。そこには思考がない。現在、この瞬間の出来事だけです。
そして、繰り返しが多くなればなるほど、見るという行為が機械的になる。
機械的になると、見る目は機能していても、それを見るあなたは、どこかに行ってしまっていない。オートメーシヨンの機械を何台も同時に操作している作業者のようなものです。あっちに行ったり、こっちに来たりしていろいろのことをやらなければならないと思っている、いろいろのあなたが時間に追われて動きまわっている。スクリーンという目に映っているものを見る観衆者としての本当のあなたはいない。映写機をまわしたり、段幕を上げたり下ろしたり、誰も決して来ない、自分一人の劇場なのに入り口で誰か他の人が入ってくるのを監視したりして、肝心の自分のこの瞬間しかない人生の映画を見る席に座っていない。
ふつうの人は、こんな具合でまったく無意識で四六時中いる。
イエスが"目で見なさい、耳で聞きなさい"と言っているのは、何も目の見えない人に言っているのではない。何も耳の聞こえない人に言っているのではない。意識して見なさい、意識して聞きなさい、と言っているのだ。
意識して見ることが出来たら、あなたは過去から解放される。時間から解放される。過去のことがすべて消え去る。そしてこの瞬間にいることが出来る。
一期一会。
ヘラクレイトスが、"出逢う人はいつでも一回限りだ、同じ人に二回出逢うことはない、出逢った人はいつでもはじめての人で最後の人だ"と言ったのは、この一期一会のことです。
もし、あなたの奥さんが1時間後に死ぬと分かったら、あなたの見る奥さんはいままでの奥さんとは別人になる。とても愛おしい、はじめて出逢ったとき感動した奥さんになる。
いずれ必ず訪れる死が1時間後と30年後と、どれだけ違うのですか。
昨日遭った奥さんと、今日遭った奥さんは違う人だということを、よく理解し、認識することです。そうすれば、あなたの人生は永遠にエキサイテイングで、いつも感動の出逢いになります。あなたの奥さんも、ぜんぜん関係のない他の人も、この世界のすべてのものが感動の対象になります。それが天国です。天国も地獄もすべて、自分一人の世界の映像です。
あなたは、天国を見たいですか。地獄を見たいですか。それを決めるのはあなた自身です。